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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

6月26日

 前回、フィンランドの教育から日本の教育を考える福田さんの講演会にふれた。福田さんの詳細なレジメのなかに、

  ●教科書は一つの教材

    守るのは学習指導要領のみ

    教科書は検定なし

    教科書に書いてあることを教えなくても、教科書以上のこ         とを教えてもよい

    テストの点数で子ども個人や学校を比べたりしない

    高校入試はない

と書いてある個所があった。

 今日の朝日新聞「教育」のページに、「八重山教科書採択問題 選定、学校主導に戻す議論を」との見出しで、「沖縄県竹富町2011年、同町を含む3市町村の『採択地区』で選んだ育鵬社の教科書でなく、東京書籍版を採択。国は無償給付せず、町は住民有志の寄贈を受けて配った」ことに関しての高嶋伸欣さんの話が載っていた。

 学校が使いたい教科書を使えないということは、なんとも困ったことだ。

かつて、W市での教科書についての集まりに参加したことがあった。その時、W市の教師は、「私たちの採択区は周りの3つの町とで構成されており、学校数に関係なく、それぞれの市町から代表が出て採決するので、いつも周りの学校の希望で決定してしまっている」と言っていたことを思い出した。

また、私が在職中に、2年生が、仙台市で採択した教科書以外の教科書もぜひ使用したいのでと、それを副教材使用リストに入れて市教委に提出したら、その教科書使用にクレームがついた。理由は、教科書は無償となっているので、他の教科書を使うために集金してはいけないということだった。担任のSさんたちや学校長がずいぶん困ったことがあった。仙台は小学校数が120校ぐらいある。120が一緒のものを使用しなければならないことこそ、普通に考えれば奇異の感をもつのだが・・・。

日本の教育への縛りはますますきつくなるように感じる。教師をがんじがらめにしていながら、一方で、教師の力量を云々する。上記のフィンランドのように、「教科書は一つの教材」となれば、日本の教師もよい教材探しにも懸命になり、学力向上にもつながってくるのではないか。それを保障する時間も必要であることはもちろんである。