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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

5月21日

 今朝の河北新報「声」欄に平泉の方が、宮沢賢治北上川を下って石巻に行ったことにふれていた。

 昭和17年発行、佐藤隆房著「宮沢賢治」の中にこのことについて、以下のような記述がある。

中学4年生の時、賢治さんは修学旅行で舟に乗り北上川を河口の石巻まで下りました。

そこから渡の波の塩田を見学に行く途中、小高い丘に登ってみた時、目の前に灰色の雲母のようで盛りあがったふしぎな物が広がっているのを見ました。賢治さんは思わずそこに立ちすくんで言いました。

「何だ。あれは?」

連れの友人たちは叫びました。

「海だ! 海だ!」

賢治さんが、臍の緒きって初めて見た海だったのです。

 賢治が中学4年というのは明治44年で、102年前ということになる。賢治はこの時のことを次のような詩に表し、石巻日和山に詩の一部を刻んだ詩碑が建っている。

        われらひとしく丘にたち

 われらひとしく丘にたち    青ぐろくしてぶちうてる

 あやしきもののひろがりを   東はてなくのぞみけり

 そは巨いなる塩の水      海とはおのもさとれども

 伝えてききしそのものと    あまりにたがふここちして

 ただうつつなるうすれ日に   そのわだつみの潮騒えの

 うろこの国の波がしら     きほひ寄するをのぞみゐたりき

 かつて佐藤さんの「宮沢賢治」を読んだとき、家のそばを流れる北上川を思い出し、(あの川を賢治が通ったんだ!)とひとり感激したことを今日も思い出した。

 小さい時は、平田船を引いた蒸気船が北上川を上り下りしていた。私の家は堤防の根に位置していたので、家の中にいてもポンポンポンという音は聞こえてきた。すると、何をやっていても堤防に駆け上り、ゆっくりと進む蒸気船に向かって、「オ―イ」と叫ぶのだった。不思議に人影は見たことがない。蒸気船は近くに止まったこともなかった。小さい私たちには、何を積んでいるのかもわからなかった。返事が返ってこなくても、堤防に駆け上り、船に叫びつづけるのは子どもの私の日課でありつづけたのだった。

 戦後、毎年のようにやってくる台風で川の姿も変わっていき、トラックが走るようになると、いつのまにか北上川に蒸気船を見ることはなくなった。