mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

4月24日

 いま、年に1教科ずつということで、宮城のサークルに関わっているメンバーの実践記録をつかめる範囲で集めて1冊にまとめる作業をつづけている。

12年度は国語で、年度は越えてしまったが、いま第4コーナーを周っている。小さく拙いものでも少しでも多くの人に実践提出者になってもらおう、それは実践を出した人のためにもプラスになるだろうと考えてのことだ。読んで使う人に丸ごとのマネですませてもらわなければいいのだから。

 そろい始めてから、どうしても物語「夕鶴」も紹介したいものだと強く思うようになってきた。「夕鶴」の読みの授業では4年生と十分楽しむことができた。学芸会では影絵芝居「夕鶴」にも取り組んだ。

著者の木下順二さんは、雑誌の座談で、

物語『夕鶴』はぼくの失敗なんです。どういう失敗かというと、戯曲といっても、戯曲以外のかたちで表現できるものもあると思うんです。物語なりで。しかし、『夕鶴』の場合には、戯曲以外で表現できないとぼくは思っている。だから、映画化もたくさんことわった。ところが、なぜ、ああいう物語としての『夕鶴』が教科書に載ったかというと。

   戦後、10年も経たない頃、新潮社が世界の絵本といういい企画をつくって、その中に『夕鶴』を絵本にしてくれという話があって、絵は福田豊四郎さん、亡くなられた方ですが、いい絵を描く方で、一緒にやってくれって言われて、ついぼくはそれを承知して絵本にしたんです。(以下略)

と語っておられる。

 木下さんは「ぼくの失敗だ」とおっしゃっているが、その「失敗」のおかげで、子どもたちと「夕鶴」を読み、私にとっては忘れがたい授業になったということになる。  後日、大学退官後、時々センターに顔を出し雑談をするようになったSさんとの話が「夕鶴」になったことがあった。Sさんは、「その絵本をもっているか」と言う。探しても見つけることが出来なかったと弁解。「その絵本も見ないで授業をしたのか」と、言われても返す言葉のない攻撃を受けたことがあった。

その後のある日だ。Sさんは、「これを見ろ」とビニール袋をさしだした。中のものを取り出すと、なんと、福田豊四郎の挿絵になる絵本「夕鶴」。Sさんは、驚く私を得意気に眺めながら満足そうな顔をしていた。そのSさんは、間もなく急に遠くへ旅立ってしまった。まだまだ教えてほしいことがあったのに。

物語「夕鶴」は、私の場合いつもSさんとの思い出につながってしまう。