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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

4月7日

 昨日の午後、仙教組の春の学習会をのぞきに行った。小学校・中学校、2つの部屋ともに、参加者のほとんどが若い人だったのを目にして妙にホッとする気分になった。もちろん年輩の教師は学ばなくてもいいということでは決してない。

私自身を振り返れば、最後までぎくしゃくして過ごした教師生活であったが、ことさら若いころの事は今思い出しても赤面することの連続だった。相手が生きものであれば、本を読んでも、そのとおりにいくものではない。教師なりたての頃読んだ本のなかでA・S・ニイルは、「教室から出て行った子どもを追うな。教室がおもしろければ子どもはもどってくる」と書いていた。その、子どもがもどってくるような教室をどうつくればいいのかがまったくわからなかったのだ。

 教師4年目の新しい学校が私に光を与えてくれた。中学だったが、この学校は誰とでも話ができた。職員室の隅に教員組合の支部書記局が置かれていた。管理職を含めて全員組合員だった時代だ。職員室にいて、教職員組合の仕事を見聞きできたうえに、県内の学校の様子だけでなく全国の様子まで知ることができた。受ける刺激は大きかった。

 また、隣の小学校を会場にして、月1回、教育を語る会の集まりがつづいていて、4月の集まりから先輩に連れていかれた。そこに集まった教師たちは、自分の教室の子どもたちや授業を極めて具体的にしゃべった。聞いていると、だれも、うまくいっていることをしゃべっているのではない。むしろ、多くはうまくいかないことが話されることが多い。若い人だけでない。相当な年輩の人もいる。(ああ、みんな苦労しているのだ)と、聞いていて気が楽になる。意見は年齢を超えて率直に交換される。

話す人たちの自分と違うところは絶えず試行錯誤を繰り返していることだ。自分は、うまくいかないせいは子どもにあるということにしていつも終わりになり、それですべて済ませていた。

何気なく話す試行錯誤の話は私には仕事への苦闘の響きに聞こえ、自分への強烈な刺激となった。だからといって、翌日からの私が何も変わることはなかったのだが、それでも教育を語る会の集まりは自分のために話をしてくれているような気がして、集まりに出ることが楽しみになっていった。

 それ以降、学校を辞めるまで、いや辞めてもなお今でも、教育を考えるためには、集まりの場がないとよい仕事がつくれないものとすっかり思いこんでしまうようになってしまった。

 仙教組の学習会で若い人が多いことにホッとしたのは、自分と同じような人がきっと多いだろうと思ったからだ。でも、仙台で仕事をする若い教師たちは、この日の何倍もいるだろうに、その人たちは何を頼りに仕事をすすめているのだろうか。それを考えると、ホッとするどころか心配はふくらむのだが・・・。