mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

3月24日

 子どもを考えるフォーラムのパート「今、子ども時代を生きるということ」を23日もった。このフォーラムはSさんたちの努力によってつづけられた。参加者は少なかったが、子どもをテーマにして高名な方の話を聞いて終わりという会ではなく、毎回、若い人にも話題提供者のひとりとして入ってもらい、参加者みんなで「子ども」を考え合うという会だったことに3回ともに私は大きな意味があったと思った。

 今回のテーマ「子ども時代」で言えば、誰でも自分の過ごした子ども時代が浮かんできて、「子ども時代」の物差しはそこにおかれてすすむのは自然であり、そのように会はすすんだ。

 私も初めから終わりまでテーマと自分の山の分校生活の昔が頭から離れることはなかった。4人の話題提供者のうち大学1年生のT君は自分の今までの歩みを話し、他の3人からはそれぞれの「子ども時代」をベースにしながら、今目に映る子どもたちの事実が語られた。

 誰が話してもそうなるだろう。みなよき時代の物差しをもつゆえに、今の子どもたちはなんてかわいそうなのだろうと思ってしまう。Eさんの小学校はスクールバスが走っているという。山と田畑に囲まれた学校なのにだ。

子ども時代は大人になるための準備期間ではないはずなのに、子どもたちの今はあきれるほどストレートにその準備に多忙だ。

こんな時だからこそ私たちが「子ども」について話し合う意味がある。

T君は、「ぼくは、よい先生に恵まれた。そして、高校で硬式野球部で過ごし、1年浪人しても何も言わなかった家族をよかったと思っている」と言った。彼の思っている教師はどんな人なのか興味がある。彼のあげた教師と家族は、直接的には今「子ども」を考えるべきもっとも大事な人たちと思うので、T君は今どきの子どもとしては大いに恵まれた若者と言えそうだ。

私たちが「子ども」をとり上げて考え合うことはなかなか難しいテーマだと3回を振り返って思う。それは、過ぎ去った「子ども時代」を出し合うことは子どもを考える序章に過ぎず、なぜ今の子どもを考えなければならないか、問題があるとすれば何がそうさせているのか、少しでも、子どもたちによい子ども時代を過ごさせるために私たちにできることは何かを自分たちの課題として引きよせて考え、大人として行動すべきところまでいかないと「子どもの今」は何も変わらないからだ。

子どもを考えることは、そのまま私たち大人のありかたを考える今たいへん重要なテーマだということを改めて考えさせられた。