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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

3月17日

 昨夜、久しぶりに現れた太田弘としゃべりあった。夢での出会いだ。

オオタヒロシという名を知る人はほとんどいないだろう。「現代美術社」のと言っても今はどれほど通じる人がいるだろう。教科書「子どもの美術」「少年の美術」と言えば少しはいるか・・・。宮城美術館での佐藤忠良展には、教科書も展示されていた。

私は、太田弘の生活科教科書「どうして そうなの」「ほんとうは どうなの」の編集に参加した。この教科書は残念ながらほとんどの子に使われずに教科書界から姿を消してしまった。現場の教師の支持がないどころか教科書研究者にも教育学者にも見向きもされなかったのではないかと思うので仕方のないことだが・・・。

 夢の中の彼は、黒光りのする木造の講堂で講演をしたのだ。私は、演壇の端にアゴをのせ、彼の話に聞き入った。この私の姿勢は、小さい時、祭りの神楽を見たときとまったく同じだ。話を終えた太田は私に歩み寄り、「係に、『一番に来たのはあの人ですよ』と言われて見ると、なんとあなたじゃないか、ハッハッハッ」と大声で笑うのだった。

 私は、太田弘のような発想力も仕事力ももっていないが、今でも彼とはまだまだ仕事をしたかったと思っているから、彼の満足そうな笑いはたいへんうれしかった。

 教科書編集は2年半、土日を使って仙台で行った。帰りは必ず駅前の地下の飲み屋で次回の打ち合わせをし、あとは尽きないユメを語り合って別れるのだった。

 なぜ、彼が私の前に現れたのだろう。しかも木造の講堂で…。

 目が覚めてから考えた。今、これまでにないほど、被災によって(それだけではないが)消えていく多くの学校のことで私の頭はいっぱいなのだ。それを感じた彼が心配して現れたのではなかろうかと思いついた。

 「どうして そうなの」の中に、木造2階建ての小さな校舎と黒光りする階段と手すりのモノクロ写真を入れた。これについて教科書調査官は、「今は、このような校舎はない」と修正を求めたのだった。検定通過のために仕方なくコンクリートの校舎と廊下に差し替えたが、なぜ学校が小さい木造ではダメなのかは未だに理解できないでいる。大田弘が夢で立った講堂はこの写真と同じ色だったのだ。

 この教科書の2年生の最後を、「人が どんなに しぜんに ささえられて いるかを おしえられて、みんなで どう 生きるかを かんがえながら、生きて いく。」と結んで終わる。

 今も私は、この教科書を時々取り出してひとりで眺める。そして、だれがなんと言おうとオレは今でもいいと思いつづけている。このことを大田弘に直接言えないのがなんとも悔しい。