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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

1月21日

 昨日、高校生公開授業は終わった。終わるまではこの日記を書く気分になれなかった。それに寒さに負けたのか風邪を引き、医者の手まで借りた。この一週間はセンターにはいるもののほとんど役立たず。所員のKさんには高校生集めや当日の準備などすべてに孤軍奮闘させ、私はというと、棚の上の張り子の置物然としてすごしていたのだ。

 それでも、終わって他人に見えないように大きな深呼吸をした。私自身にとってはなんとしても年1回仕遂げたい企画だったのだから。

学校でつけなければならない学力は競争でつける、そんなものでないし、検定を通過した教科書を使い教師用指導書にそってていねいになぞり終わるものではない、もっと広くて深いものだろう。それがいつの間にか、競争が前面に躍り出て、闊歩し、(そんなことではない)と思う教師はしだいに影をひそめてきている。

私が勤めて6年目の1963年、経済審議会が「人的能力開発を教育の中心任務にすえることにより、教育は3%のハイタレントを養成する」を答申した。若い私は「自分たちの仕事はそんなものではない、後の97%をどうするんだ」と仲間と力んだ。経済界はそう言っても、教育界は自分たちの使命を容易に渡すはずはないと思っていた。しかし、50年目の今、教育界はまさにハイタレント養成のために身を粉にしている感じだ。もちろん、それぞれの意識はどうかわからないが。

こんなとき、センターが定員40名で半日の授業を企画し、共鳴していただく講師を探しだして高校生を公募するなどに、なぜ必死になるのか。

今年の仲本正夫さんの授業テーマは「新しい世界の発見、新しい自分の発見」だったが、私たちの願いはまさにこれなのだ。60分2コマで関数が積分がわからなくてもいい(と言う言い方は不適切だが)、参加した高校生の中にほんのちょっとでもいい、授業を通して何かが起こってほしいのだ。それも、会場ですぐにでなくていい、あるときひょっと授業のことを思い出し、自分の今を考えるきっかけになるのでいい、そんな機会に、あの授業がなればいいと願うのだ。

もちろん、これは、今自分たちが考えられる方法であり、いろいろ変わりうるし、その道を考えつづけなければならないと思う。

「蜂の一刺し」のつもりだ。頭の上で、たくさんの人々の高笑いが聞こえるが・・・。

昨日の最後の実験で、やっと生徒の体は柔らなくなり顔にほころびも見えた。もう残り時間はない。それを眺めながら授業者の仲本さんは顔をほころばせながらも、「実験をもっと早くやれれば」と無念そうだった。

このことをもう少しつづけたいが長くなるので次回にまわす。