mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

1月7日

 新しい年がだれにとっても良い年になることを強く願い、そのために少しでも役立つように私たちのセンターも働きたいと思う。

 正月の初めに今もよく思い出すことがあるが、以下はそのひとつ。

 学生時代の前半は叔父の家に世話になったのだが、1年目の正月明け、仙台にもどった私は、叔母に、「このスミド―フ、母からです」と、冬になると必ず家でつくっていた土産を渡した。すると、そばにいた小学1年生のE子が、「お母さん、どうして、タツオ兄ちゃん、シミド―フをスミド―フと言ったの?」と聞いたのだ。叔母は答えに困っていた。私は、瞬間、(そうなんだ、オレは、シミド―フをスミド―フと言っていたんだ)と気づくことができた。その後の3人のやりとりの記憶はないが、自分の頭の中を「シ」と「ス」が行ったり来たりした。そうだ、これまで「スミル」と言ってきたが、「凍みる」は「シミル」と読む。その凍みさせたト―フなんだからE子の言うように「シミド―フ」が正しい。E子の問いは、私に「シ」を「ス」と読ませてきたものをぞろぞろと湧きあがらせた。つまり、18年めにして、「シ」を「ス」と言いつづけてきたことを初めて意識することができた。これが方言で、それをまる出しで今まで生活してきたたこともこの時はっきりと自覚できた。

 学校で方言と共通語を教えられた覚えもなかった。人の交流のほとんどない山の分校育ちの自分には、これまで限られた地域の言葉という意識はまったくもつことはなかったのだ。

 E子の疑問のひと言が私に限られた言葉と共通の言葉を意識させた。叔父の家の生活は既に半年以上になるのに、そのことを考えることがなかったのが不思議だ。私は、なんて鈍感だったのだろう。  その後、私は、言葉を発する時、一呼吸おくようになった。しばらくの間は、田舎に帰ると、枷を外されたように楽になるのを感じた。

 でも、いつからだろう、(いいじゃない、オレの育った言葉が飛び出しても、その時必要があれば直せばいいじゃない!)と思うようになったのは・・。もちろん、そうひらきなおったのはずいぶん歳を重ねてからのように思う。そう思ったら本当に楽になった。

 楽になったということは言葉にいいかげんになったということではない。少なくとも、今は「スミドーフ」とは言わない。

小学1年生のE子のひと言は私の人生の中で今でも大きな意味をもっている。