mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

12月4日

 大津いじめ事件後、学校の子どもたちへの対応がよくテレビに取り上げられる。

 そのたびに思い出すのがかつて6年生の終わりちかく転校していったK子のこと。K子はほとんど何も語らなかったが、その事実は私の中に今でも鉛のように沈んでいる。K子は黙って去ったので、私の担任失格と言える出来事は誰も知らなかったかもしれない。その一因をつくったのではないかと思われるS子と話をしたが確たるものはつかめなかった。つかめなかったことで私はS子たちでないかもしれないことにホッとしながら、すべての因を自分と受け止めざるを得ない衝撃は小さくなかった。

 今になるも、K子に会って話をしたいと思いながら、情けないことに、会うということに躊躇する気持ちがまだあるのだ。会って素直に詫びたらいいじゃないかという別の自分の声が背を押しているのに・・・。

 大学4年生時の中学での教育実習が私に教師生活へ踏み出させた。3年生のY子が「クラスの実情をよく知らないで決め付けた言い方をするなんて、それで先生に本当になるの、なれるの!」と叱ってくれたことによる。このY子の言葉が私を教職に就かせ、私は退職まで(教師になってよかった)と思って過ごすことができた。

 夢中で過ごした三十数年だったが、辞めて振り返ると、K子をはじめたくさんの子どもたちにかけた迷惑が浮かんできて時々やりきれなくなる。

 私は最後の学校で、月例の職員会の議題のひとつに毎回「子どもを語る」を入れることを提案した。クラスを超え学年を超え子どもを語り合う必要があると思ったのだ。それがうまく働いていればK子のことも何か知ることができたかもしれない。この議題は短時間で終わることが多かったが、今でも、それを議題にいれることをすんなりと受け入れた同僚を誇りに思う。

 振り返りのなかで考えることは、教師が言いわけをしないように努めれば、子どもたちや親ともう少し近くなれるのではないかということ。なにしろ教師の目に映る子どもは氷山の一角。教育においては小細工は何の用もなさないのだから・・・。