mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

11月7日

 今年の「教育のつどい」が終わった。私は2日間、2つの分科会に出た。自分を振り返ると、県の教育研究集会は他では感じることのできない独特の熱気をもち、疲れながらも充足感で満たされる場であった。それが年々参加者が減りムンムンとした空気は会場に流れず、重い足を引きずって家に帰るようになっているのは、なんとも寂しい。

 私の最初の県教研集会参加は、勤めて4年目で、会場は県北だった。参加者はレポート持参が義務付けられており、先輩は「なんでもいいから持っていけ」と言う。会のことは何も知らずに(何か持っていけば・・・)と提出したレポート(?)は取り上げられることなく集会は終わった。初参加の私への分科会責任者の配慮によって取り上げられなかったのではないかと会が終わったときに思い、ホッとしたのだった。でも、会に出ることによって今まで知らなかった世界を初めて知ったことは私のそれからにとって大きな出来事になった。その分科会で、共同研究者の2人が、「教師の朗読」をめぐって参加者そっちのけで猛烈な議論をつづけていた光景は今も残る。みな本気だったのだ。

 学校に帰ってきた私は、月例の「教育を語る会」で、教科サークルをつくることを提案し、翌年になりポツポツとサークルが誕生していった。教科サークルといっても、お互いがかけもちをするので、これまでとは比べものにならないほど忙しくなったのだが。

 私の所属した国語サークルも、県教組が提起した実践検討会をもとうということになり、授業者はNさん、教材は物語「はな」(新美南吉)と決めた。これが仲間との本格的な勉強会の私の出発でもあった。それからはほとんど欠かさず県の研究集会だけでなくその他の集まりにも足繁く参加しつづけた。  私のように他に学ぶことをしないと仕事をつづけることのできない者の物差しで他を測ることはまちがいかもしれない。学びの場はいろいろあるから別の場所で学んでいるのかもしれないが、教育のつどいの場にいてついつい(他に学ばないで大丈夫かなあ)と心配になっている。