mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

10月31日

 昨日、久しぶりに昼食を外でとっての帰り、この建物の裏口で「カスガセンセイですよね」と声をかけられた。42年前の6年生を担任したときのTさんだった。申しわけないことに私は「名前は?」と聞かなければならなかった。しばし立ち話をする。

 Tさんたち66組は、私が意に反して郡部から仙台入りすることになっての2年目であり、1年目の終わりに転任希望を出し、「1年で転任希望を出すヤツがいるか!」と校長に叱られた翌年の受け持ちで、何かというとよく突っ張っていた時であった。そのN校については今でも子どもたちにはずいぶん迷惑をかけたような負い目も感じており、Tさんと当時を言うのにもなんとなく声に力が入らなかった。もちろん、40年という時間をすぐもどすことができなかったこともあったのだが・・・。

 家に帰って、当時の卒業アルバムを引っ張り出して眺めた。そのうちに40年の時が自分の中にだいぶもどった。その当時のTさんも見えてきた。いろいろな出来事もよみがえってきたが、うしろめたいことだけでもなかったようだ。

 1つ上げてみる。社会科で、子どもたちにとって初めての歴史の授業をどうするかを考え、思いつきで、日本国憲法の「前文の読みとり」から始めたことである。しばらくの間、社会の時間となると、辞書を片手に、前文のプリントと向き合い、最後に大きい紙にそのまとめを書き、教室の前面に掲示した。それからが歴史の授業の出発であった。時代ごとの区切りで、前文のまとめと照らし合わせてみることを繰り返して1947年になる。これが、この年の私の歴史の授業だった。すごく荒っぽい授業であったが自分のなかには残っているひとつだ。

 もう1つ。児童会担当になったことをいいことに、夏休みにリーダー合宿。夜明け前に近くの丘に走り、海から昇る太陽を待った。見事な太陽が昇ると丘は子どもたちの大歓声で埋まった。それを見ながら私は心のうちで快哉を叫んだのだった。合宿の内容は他にいろいろあったのだが、昇る太陽に大騒ぎする子どもたちの光景は鮮やかによみがえった。

 Tさんとは同じ建物内で働いている。彼女は1階、私は5階。そのうちまた会えるだろう。その時こそは、私もあの時にかえって話し合えそうだ。