mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

10月1日

 正岡子規の命日は糸瓜忌と言われる他に、「獺祭忌(だつさいき)」とも言われることを天声人語で知った。なぜそう言われるか。天声人語子は、「カワウソは多くの魚を獲り、祭るように並べて食べると言われ、子規は、書物を散らかし置く自分をカワウソになぞらえて獺祭書屋主人と号した。それにちなむ忌日」と書いていた。

 それを読みながら、在仙の作家・日向康さんの姿が浮かんだ。

 かつて宮城民教連の事務局の仕事をしていたとき、冬の学習会の記念講演をお願いするために日向さんのお宅にお邪魔したことがあった。なんと蔵書が玄関まであふれ、その蔵書の間に日向さんと私がやっと座れたのだった。カワウソは「獲った魚を並べる」というが、本は天井まで積まれての玄関進出だったのだ。本の置き場については私もしばしば家庭争議のもとになっていたので、内心、私の比でないことを目にして変な自信を得て辞してきたことを思い出したのだ。

 日向さんと初めてお会いしたのは、林竹二さんの「田中正造の生涯」の出版記念会の時、1976年だった。その2年後、日向さんは「果てなき旅」で大仏次郎賞を受賞した。執筆開始は70年ごろのようだから、7~8年を要している。

 次に読んだ日向さんの本は、「松川事件 謎の累積」。1982年に出版。今でも忘れがたいのは、松川事件の取材で、保線係長のHさんに「無実を確信するが、30年経ったら真相を話す」と言われ、それを待つことにした、と《あとがき》に記してあったこと(実際には30年待たずに聞くことができたようだが)。そのようなところに私は、日向さんという作家の人柄を強く感じ、そんな折に本に囲まれた玄関での日向さんが浮かんでくるのだ。

 日向さんは20069月に亡くなっているが、その後になって、「それぞれの機会」(1987年作)を読み、私は日向作品では一番気にいったのだった。その帯に鶴見俊輔は「大学までが教育で、そこで教育はとまりという、現代の日本の常識に、まっこうから挑戦するのが日向康の記録小説『それぞれの機会』である」と書いていた。

 林竹二さんを偲ぶ年1回の会に、日向さんからていねいなご案内をいただきつづけても1度も参加しなかった無礼を思い出すと胸が痛む。