mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

9月7日

 Mさんからしばらくぶりに電話があった。井伏鱒二太宰治などについてしゃべった。漱石も登場した。電話でこんな話をすることはめったにない。Mさんは、「この人たちのことを知れば知るほど、私は生まれるのが少し遅すぎたように思う」と、これら作家たちの人間関係の例をあげながら、たいへんうらやましそうに言っていた。

 兼好法師は「何事も、古き世のみぞ、慕はしき」と書いているが、古いほど人の関係がよかったということになるのだろうか。私の場合も過去は今よりはるかによく、映画「3丁目の夕日」あたりを境にして大きく変わったように感じる。それでも、田舎暮らしゆえにか、その後も10年ぐらいは余韻がまだ残ったように思うが・・・。

今、どうしてこうも見事にバラバラなのだろうか。今を逃げるつもりは少しもなく、残る時間は短くとも、ささやかでも意味ある生き方をしたいと思う。それでも、「生まれるのが遅すぎたように思う」というMさんの言葉もよくわかる。

加島祥造のように「伊那谷の詩人」と言われるような暮らしをしてみたいと、できもしないことを考える。人の世はわずらわしいと思いながらも、どんなに歳をかさねても、人とつながっていないと生きていけない自分の弱さをよく承知しているから、思うだけで『伊那谷』に一歩も足を踏み出せないで、毎日を過ごしている自分をMさんの電話でまた考えた。

Mさんは、太宰の奥さんの書いた本を探しているのだが見つからないと言う。津島美知子著「回想の太宰治」。私の書棚の太宰の場所にすわっている。それを知らせるとMさんは大いに喜んだ。私は、(本当に読みたい人に読んでもらい、その傍にいつまでもいるほうがオレの書棚にいるよりはずっと幸せなはずだから帰ってこなくてもいい)と言って、翌日、本をポストに入れた。