mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

8月29日

 M小の学校だよりを目にする機会があった。家庭回覧用になっているらしい。この号はA4版裏表が「平成24年度学校数値目標特集!!」で埋まっている。そのためだろうが、「学校数値目標」「学校評価」という用語が最後まで数えきれないほど繰り返し使われる。元教師の私でも、とても容易に読み進めることができない(私がダメ教師のためか?)。多くの人は読みつづけるために相当なエネルギーを要したろうし、読み終わった後は、「だからどうなの?」という疑問が出たのではなかろうか。

 たとえば、平成24年度の学校数値目標の1つとして「学校評価アンケートで『学校楽しい』と回答した割合を95%以上とします」とある。それを見た親は、今年の学校の様子が浮かび期待をふくらますだろうか。単純な私は、今年に描く具体的な学校像がいろいろ書かれていた方がずっとうれしい。

 かつて、研究会後の雑談でしゃべったある校長は、「子どもというのは、学校が楽しくてうんと好きになれば朝ご飯を食べ残しても学校に走ってくるもの。そんな子どもらのために、門も昇降口も大きく開いて待ってやりたいものだ」と言った。若かった私は、(そんな学校をつくりたい。そのためにどんなことをすればいいのだろう)と真剣に考えたものだった。「95%に『楽しい』と言わせる」というが、そのためのヒサクはどこにも書いていない。秘中の秘なのかもしれないが、親とすれば高い数字を示されるよりも、子どもの側に立った楽しい学校づくりのプランを示された方がうれしいのではないか。

 何十年も前のことになるが、中学で集団就職者の職場訪問をしたとき、ある企業の担当者が、「馴れてくるに従ってこの数値を上げ、ベルトの動きを速くしていくのです」と得意気に説明していた。チャップリンを思い出しながら、A子をどれだけ大事に考えてくれているのだろうととても心配になったことがあった。

 数値は無用ということを言いたいのではない。数値化することで見えることは何かを考えてみると、数値だけでは少なくともヒトが人になるために大事なものはまったく見えてこない。いろいろな数値を示されても親に喜びはふくらむはずはない。それどころか、そんな数値を決めるために学校で大真面目に議論しているとすれば、そのような学校の在り方への心配の方がふくらむのではないか。