夏休み、朝、時計の針の動きを気にすることなく新聞を読める日が何日かつづく。
今日は原爆の日。67年前のこの日も暑い暑い日だった。ヒロシマから遠い山里の小学生の私は何も知らずにその日も北上川で泳いでいた。ヒロシマのその日のことを詳しく知ったのはいつだったのか、記憶にない。手元にある「読売新聞にみる昭和の40年」の8月8日のトップの見出しとリードは
「B29新型爆弾を使用 廣島に少數機 相当の被害」
「【大本營発表】昭和20年8月7日15時30分 一、昨8月6日廣島市はB29少數機の攻撃により相當の被害を生じたり 二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり
【大本營発表】まで1日半もかかっており、「相当の被害」としか伝えられないのだから、その被害の全容を知るまでに時間を要したのは私だけではなかったはずだ。
今日の朝日歌壇、「大江さん、寂聴さん、龍一さん十万超ゆるノ―のどよめき」(諏訪兼位 高野選第1首)に目を引かれた。この固有名詞がなんとも頼もしく体を打つ。「本業で主張を」という方もおいでだろうが、十万のどよめきも、「大江さん、寂聴さん、龍一さんたちと一緒だから大きくなる。
警視庁発表の参加者数はいつも主催者発表の一桁以下だが、「炎天の『さらば原発集会』に出たき八十路の思いよ届け」(峰岸愛子 佐々木選第5首)という方も数えきれないほどいるということを特に未来に責任をもつ人たちは想像してほしい。