mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

7月20日

 テレビでは、連日「いじめ」がテーマの番組がつづいている。私の記憶をふりかえってみると「いじめる」という単語は小さいときから耳にしていた。しかし、「いじめ」と名詞で言われるのを聞くようになったのは、教師生活もしばらくしてからではないかと思う。

 広辞苑では「いじめる ――弱いものを苦しめる」、「いじめ ――いじめること。特に学校で、弱い立場の生徒を肉体的または精神的に痛めつけること」と書いてある。

 動詞と名詞で、こんなにも違ってくる。時代・社会が名詞を創ったのだろうか。

 私の最後の学校勤務は1983年スタートだが、私の中の「いじめ」の記憶は、どうしたわけかそこからしかない。どうしてそうなのかはわからない。

 こんな話を耳にするたびに、私は本当に子どもたちに恵まれた幸せ者だったと思う。

 すぐ浮かぶ一つは、勤めて5年目、中学3年を担任した時の修学旅行の準備のある日のこと。23日の宿泊部屋割も関係するグループ編成についての話し合い。

 私が決めることではないので黙ってその成り行きを見ていた。それでも夜尿症のMがいるので心は平静ではなかったのだ。男子は、学級委員のKがすすめる。男子は「好きな者同士でグループをつくる」方向に傾く。そうなるとMはどうなるだろう。ここをどうクリーヤーできるかどうかは私にとっての修学旅行の鍵のひとつだった。私は結果が怖くなってきた。

 Kは言った。「よし、じゃあ、そうしよう」と。歓声が上がった。私はMを見た。Mは下を向き、体を小さくしているように見えた。Kはつづいて言った。「では好きな者同士組んでみよう。M! お前はオレのグループに入れ!」。これですべては決まった。

 私は、ホッとすると同時に、Kに(ありがとう!)と心の中で叫んだ。私ではどうにもならないことをKはすんなりとやってのけてくれたのだ。あの光景は今もそのまま絵となって体にはりついて残っている。  つい最近、Kが亡くなったという知らせが入った。聞いて私は絶句した。