mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

『福島は語る』は、すごい映画だ!

 1月の3連休初日は、福島の原発事故による被災者の今をとらえ追ったドキュメンタリー映画『福島は語る』を観た。

 映画は「第1章・避難」に始まり、「第2章・仮設住宅」「第3章・悲憤」「第4章・農業」「第5章・学校」「第6章・抵抗」「第7章・喪失」、そして「最終章・故郷」というテーマ構成になっており、14名の被災者一人ひとりが監督の土井さんを前に、今の自分たちの生活と思いを淡々と静かに語る映像が続く。作品のつくりは非常にシンプルな構成と内容だ。その一方で、上映時間はなんと170分。多くのドキュメンタリー作品が90分前後であることを考えると、その2倍弱という長さは破格である。人によっては、この長さだけで《飽きてしまうのではないか》《寝てはしまわないか》《時間がもったいない》などと行くことを躊躇するかもしれない。しかし、その心配は杞憂に終わる。

 あの日から、もうすぐ9年が経とうとしている。その月日が、確実にあの日を過去の事へと変換し、記憶から忘却させていく。人はそうして生きている。そうしなければ生きていけないのかもしれない。しかし、未だあの日を過去にできない人たちがいる。あの日から時が止まったままの人たちがいる。

 県外に避難した人、どこにも行けず仮設で暮らす人、補償金をもらっているだろと言われ傷つく人、子どもたちに寄り添う人、立ち上がり声あげる人、先祖代々の田畑を耕すことを決意した人、家も仕事も、そして最愛の息子も失った人、みんな何かを奪われ失っている。それなのに目に見えない壁が人々を分断する。未だ震災は終わっていない。震えたまま立ち尽くす人たちがいる。

 撮影時、監督に向けて発せられた14人の被災者の語りと言葉が、私に向けて語りかけてくる。その語りが私をあの日に連れ戻す。あの日の事、そしてあれからの事がさまざまに甦る。被災者の語りに、同じように感じていた自分を改めて見出す。
 機会があったら、ぜひまた観たい、そう思わせてくれるとても貴重な映画だ。まだDVDで見ることはできないが、さまざまなところで自主上映会が企画されているようだ。近くで開催されるときは、みなさんもぜひ。(キヨ)

    ポスター画像

きおっちょら だより2

「きおっちょら」って、こんなとこ(その2)

◆具体的な活動について ~主体的に決めて、取り組むことを大切に~
 きおっちょらは仙台市地下鉄北四番丁駅のすぐ近くにあります。
 事業所そのものは小さいのですが、地下鉄を使って、出かけることができます。博物館や美術館にもすぐに行けます。仙台市文学館は台原森林公園の散策を兼ねて行きました。調理施設がないので、公共施設の調理実習室を借りて調理をしたこともあります。

 いろいろなことに挑戦しますが、活動の進め方は基本的に決まっています。活動の初めに、計画を立て、実際にやってみて、終わったら振り返りをするというサイクルを繰り返し積み重ねていきます。

《活動 その1》
 「みんなの積み木」をまねてやっています。一人で取り組むのではなく、出題する方が自分で考えて、白木のブロックで問題を作ります。回答する方は、形ごとに色分けしたブロックを使って、考えていきます。これが、結構難しいです。使うブロックの数を制限して出題して、少しずつ増やしていきます。

 利用者さんは、漢字などを読むのが苦手だったり、道を覚えられなかったりということで困っているようなので、形をとらえる感覚を養えたらと思って始めました。楽しんで取り組める工夫をすることが課題です。
 

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  ブロックを使って、交代で問題を出して、答えを考えます。

《活動 その2》
 自分で調理ができたらいいなと考えて、事業所の中でもできる、「ごはんとみそ汁をつくる」プログラムを1週おきくらいに行っています。
 お米を炊くのは、だいたい決まった通りにできますが、みそ汁は、具を考えることに個性が出てきます。11月には芋煮も作ってみました。利用者さんは二人とも、家で調理することはないと言うことなので、自分が食べるものは自分で作ることができるようになってほしいと思って取り組んでいます。

 おかずをしっかり作るときは、公共の調理実習室を借りて行うこともあります。そのときは調理実習の計画を立て、予算や調理の手順も調べて行います。終わったら、経済社会の取り組みとして、かかった金額を計算して、一人あたりの金額を出すようにしています。

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       ご飯とみそ汁をつくりました。

《活動 その3》
 事業所は、狭いですが細長いので、それをいかして「健康吹き矢」に取り組んでいます。塩ビ管を使った手作りの道具を使っています。矢が的に当たったときの「パシッ」という音が出ると気持ちがいいです。
 初めは的に当たるかどうかとドキドキしながらやっていますが、自分の好きな距離でやって良いとしているので、当たったときは、にっこりと良い顔になります。

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       「健康吹き矢」、当たったよ!

《活動 その4》
 利用者さんは、ものを作ったり、絵を描いたりすることが苦手な方が多いので、どんなものを活動の題材に選ぶのか工夫が必要です。リースを作るときは、葛のつたを使いました。

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リースをつくったり習字をしたり、このときは地名の習字でした。

 どんな活動をするか前月に決めます。大まかな内容で、毎日の予定を利用者と支援員が相談して決め、前の週に、次週の予定を詳しく決めます。
 利用者さんが活動について分からないことがあったら細かく説明し、本人が理解できるように努めていますが、それでも、定期の面談で話を聞くと「しんどかった」という感想が返ってきたりします。
 職員会議では、うまくいったということを本人に返して、自分のやっていることが楽しいと思えるように活動を進めていこうと話し合ったりしています。

 12月になって、パソコンで文章を作りたいという要求を話してくれるようになったので、活動の中で生かせるものを考えました。
 「写真日記」をやってみようということになり、さっそく見本を試作して提案しました。やってみてもいい、というので、公園に出かけて写真を撮って、それをもとに作ってみました。出来上がった日記は、写真を意識して撮ったので、今までよりもいい作品になっていて職員も感心しました。名前は出さないからフェイスブックに出してもいい? と聞くと、「それはいやです」とのことでした。自分の顔や名前だけでなく、後ろ姿や作品も人前に出したくないと言います。自信が生まれるまで時間をかけていきたいと考えています。

◆これから 〜青年期教育の原点を大切にしたい〜
 11月の末に、突然電話があり、きおっちょらを利用したいとのことでした。面談をして話を聞いてみると、今年の7月まで就労継続支援事業所B型を利用していたがやめたので、市役所でパンフレットを見て、ここに通いたいとのことでした。
 きおっちょらを青年期の学びの場にしたいと考えていましたが、病気だったとは言え壮年期の方の利用は想定外でした。けれども、例えば歳がいっても夜間中学に行きたいという高齢者がいれば受け入れているので、ここでもできることはあるのではないかと考えました。通い始めて3週間になり、活動の中でうれしそうな表情を見せてくれることもあります。この場所が、心地よい居場所になってきているようです。
 地域には、いろいろな人が困っていて、ひとりでいる方がもっといるのではないかと思います。どうしたらその方たちと繋がることができるのか、まだこちらの力不足を痛感しています。
 ひきこもっている方や就労してやめた方が、社会に出るためのステップアップの場として、きおっちょらを使ってもらうのはもちろんですが、同時に、障害者の青年期教育の実践を作っていきたいと思います。

 2020年4月には、支援学校を卒業する生徒が入ってきます。これからも、新たな取り組みを進めていかなければならないと決意を新たにしています。
 18歳以上の青年期の教育ですが、学校時代にいろいろと問題を抱えていることを感じます。これから定期的に障害者の学びの場のようすをお知らせしたいと思います。ご意見をいただけるとありがたいです。(さくま とおる)

きおっちょら だより1

 昨年の末頃だったでしょうか。運営委員のさくまさんから、自分たちの始めている仕事についてもっと多くの人に知ってもらいたいのだけど・・・という話を伺いました。
 このDiaryは、私たち研究センターの日々の出来事や取り組み、思いを伝えるだけでなく、教育・子育てに関わるみなさんの活動の紹介や経験交流の場にもしていけたらと思っています。
 そこで、さくまさんたちの日々の取り組みについても、気負わず、無理せず、カタツムリを意味する「きおっちょら」のように、ゆっくり、ゆたかに綴ってもらうことにしました。今回が1回目です。(キヨ)

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「きおっちょら」って、こんなとこ(その1)

 きおっちょらは、仙台市地下鉄北四番丁駅のすぐ近くにあります。障害者の教育年限延長を求めて2016年3月にNPO法人を立ち上げ、2018年4月に生活訓練事業所「きおっちょら」(イタリア語でかたつむりのこと)を開所して1年9カ月が経過しました。
 この春で開所3年目を迎えます。福祉型専攻科をめざしてやってきました。これまでの経過と実際の活動について、まずは紹介します。

◆きおっちょらの開設 ~障害者の学びの場づくり~
 障害があっても、学びたい、きょうだいと同じようにキャンパスライフを謳歌して青春を楽しみたい、その願いにこたえるためには今の学校教育制度の中でもできることがあります。その中でも、すぐにできることは、特別支援学校高等部に専攻科を設置することです。
 けれども、現状の特別支援学校に専攻科をつくる施設の余裕はありません。知的障害の児童生徒が通う支援学校高等部に専攻科をつくることは全国を見渡してもそれほど進んでいないのが現状です。

「高等部に専攻科をつくり、教育年限を延長してほしい」、その願いに応える道がいくつか生まれてきています。
 8年前に和歌山のフォレスクールからはじまり、40カ所余りの福祉型専攻科が作られています。福祉制度の自立訓練(生活訓練)事業を使って障害者の学びの場としてたくさんの学生たちが、集い、遊び、学んでいるところがあることを知り、宮城にもぜひ障害者の学びの場をつくろうと、その運営母体のNPO法人を設立したのが2016年3月でした。
 事業所の開設まで時間がかかりましたが、2018年4月に仙台市の中心部で交通の便が良いところに、小さい事業所を開いて、活動を始めました。
 私たちは、青年期を大事にしたいと思っています。それは、次のような思いからです。

・人間にとって、青年期は “ 第二の誕生 ” と言われるように、それ以降の生き方に
 大きな影響を持つ時期です。
・障害があることを理由に、高等部を卒業したら、すぐに就労しなければならない
 のでしょうか? 18歳で自分にあった職業を決めることは、わたしたち自身の
 ことを振り返ってみても難しいことです。障害を持っている生徒たちにとっては
 なおさらです。学校から社会への移行、子どもから大人への移行、この二重の意
 味での移行期間が必要な時代になってきていると思います。人生100年として、
 1年を1㎝と考えれば、わずか6~7㎝の間で猶予を得ることは誰にでも必要な
 ことです。
・学校での多くの時間を就労に向けての作業学習や実習に当てるだけでなく、教科
 学習を通して、しっかり自然や社会、音楽や文学などの文化を学んでいくことが
 大切にされなければならないと考えます。
・学校で学ぶことは、友だちと友情をはぐくみ、真理を探究すること、他人に対す
 る尊敬や愛情を深めていくことではないでしょうか。他人を信頼することを育ん
 で、主体的に他人とかかわって、人間関係を作っていくことを大切に考えたいで
 す。
・遊ぶこと、失敗すること、ちょっと背伸びしてみること、他人と折り合いをつけ
 ていくこと・・・、余暇や無駄と思われる時間が後から振り返ると輝いている、
 みなさんも、自分のこれまでの経験を振り返るとそうだったと思えるのではない
 でしょうか。青年期に一見無駄と思えるようなことをたくさん経験することが、
 心を大きく成長させるのではないでしょうか。
・自分たちが青年期にやってきたことを振り返れば、誰もが経験することで、それ
 を知らないで成人期、壮年期になっていくことは、人生の彩をなくしてしまうよ
 うなものです。

◆福祉事業所の運営に四苦八苦
 開所して2カ月ほどは、利用者はいませんでした。最近まで利用者は1人でしたが、今年の11月末にようやく二人になりました。
 事業所の運営について、よく「補助金が出ているんでしょう」「助成金はどれくらいもらってるの?」と、言われます。それは、ずいぶん前の時代のことなのです。
 今の福祉制度は、とても簡単な表現にすると、 “ 事業の認可は厳しく、認可を得たら利用者は自力で獲得しなさい。事業所の運営は自分たちの努力でやってください ” と言ってもあながち的外れではないと思います。利用料は利用者の人数に応じて、法律で決められた金額が自治体から支払われます。つまり、利用者がいなければ収入は入らないのです。
 利用料の請求は電子システムになっていて、分厚いマニュアルがあります。事務の仕事には縁がなかったので、請求事務になれるのにだいぶ時間がかかりました。加えて、福祉事業も営利事業ということで税金もかかってきますし、提出する書類もたくさんあって、“「男はつらいよ」のタコ社長がフーフー言っていたのはこれか”と、思うこともあります。(さくま とおる)

「GO!DO!教研」が開催されます!

 今回紹介するのは、2月8、9日(土・日)の2日間、教職員組合の先生たちが企画・実施する学習会「GO!DO!教研」(会場は、仙台・茂庭荘)です。

 「授業づくり」や「クラスづくり」の分科会をはじめ、「職場づくり」や今話題の「働き方改革」、食べ物や健康にかかわること、さらに癒しのリラクゼーションから退職後の生活設計まで、教師としての人生を豊かに生きていくために、さまざまな分科会が行われます。
 また記念講演の講師には、1月14日のDiaryでお伝えした映画『 i 新聞記者ドキュメント』の主人公、東京新聞社会部記者の望月衣塑子さんがいらっしゃいます。

 ちなみに映画上映は当初、仙台フォーラムで1月23日(木)まででしたが、好評につき上映延長が続いて、2月6日(木)までの上映が決まっているそうです。まだ観ていない方は映画を観て、さらに講演会も、そんなこともできそうですよ。

(「GO!DO!教研」は、一般の方でも参加費1,000円で、参加できるそうです。詳しい問い合わせは、宮城県職員組合まで。☎022‐234-4161) 

◇記念講演(2月8日・土 13:20~15:00) 会場:茂庭荘
           報道の今、~記者の目から見えること~
             
講師:望月衣塑子さん

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季節のたより44 ヤブラン

  万葉集の「山菅」の花 黒い実は裸の種子

 冬の日差しに黒い実が光っています。たくさんついていた実は、鳥に食べられたのか、地面に落ちたのか、花茎にまばらについた実は、それでもまだ光沢を残しています。
 この実は、夏のおわりから秋にかけ、小さな淡紫色の花を穂状に咲かせるヤブランの実です。

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       冬の日に光る ヤブランの黒い実

 ヤブランは、本州、九州、四国に分布、樹林の木かげややぶの中に普通に見られる常緑性の多年草です。ランといっても、ランの仲間ではなく、旧分類ではユリ科の植物。DNAの解析技術を用いた新分類(APG植物分類体系)では、キジカクシ科ヤブラン属に分類されています。
 ヤブランの名は「葉がランに似てやぶに生えるのでこの名がある」と図鑑で説明。なんだか味気ない命名と思って、「花おりおり」(湯浅浩史・文)を開いたら、「花も実(種子)もランとはほど遠い。ただ、細い葉はシュンランなど東洋蘭を思わせる。」と解説。ヤブランが東洋蘭のイメージと重なると、ランでないのにあえてランと名づけた命名者の思いもわかる気がします。

 ヤブランは、暑さ寒さに強く丈夫で一年中緑の葉なので、昔から歩道の端や、神社・お寺の周りなどに植えられました。最近では「サマームスカリ」や「リリオペ」といった名前で、建築物の基礎まわりの緑化の下草としても人気があります。

 ヤブランは、茎が短いので、光を求めて上に葉を広げることはできません。細長い葉を根元からたくさん伸ばして、先端へゆるやかな曲線を描くように垂れ、四方に広がるように伸びています。そうすることで、木かげややぶの中でも弱い光を効率よく受け止めることができるのでしょう。

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       花茎に集まる ヤブランのつぼみと花

 ヤブランの花は、淡紫色から青紫色の小さな花で、株から伸びた花茎に穂状につけます。夏から秋にかけて咲く花は。実より目立ちます。
 花茎はひと株から数本まっすぐに立ちあがります。初めに2~5個ずつ集まった小さなつぼみをつけて、そのつぼみが下から上へと咲き進みます。

 小さな花は、日中は上向きにほぼ平らに開きます。花びらは内外あわせて6枚、内側の3枚は少し大きく卵形で、外側の3枚は細く小さくなっています。外の花びらはもとはガクだったようです。
 淡紫色の花の中には、おしべが6本、めしべが1本、そのしべの黄色が鮮やかです。小さな花をたくさん集めた花穂は、遠くからでもよく見えて、受粉のための虫たちを呼び寄せています。

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  株の中から立ち上がる 花穂      淡紫色の花びらと 黄色のしべ

 花が終わるとひとつの花に2~5個の実がつきます。ふくらみ始めは緑色、しだいに色が変わり、秋の終わり頃には光沢のある黒い実になります。黒い実は春先まで残るようです。

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   花の終わり      最初は 緑色の実     熟した 黒い実

 鳥たちは赤色の実が大好きです。草や木の実に赤い実が多いのは、草木が鳥の好みにあわせて進化してきたからといわれています。
 赤い実の次に鳥がよく食べるのが、黒い実です。黒色は地味な色ですが、ヤブランやアカネの黒い実は光沢があって光ります。ナツハゼは紅葉した葉を実のバックにしています。サンショウの実は茶色の殻からのぞかせ、ミズキにいたっては、赤い柄と黒の実の、いかにも鳥が好みそうな色の配置で鳥を誘います。(下の写真)
 黒い実をつける草木たちの知恵なのでしょう。その自然のしくみに驚きます。

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      アカネの実         ナツハゼの実

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       サンショウの実         ミズキの実

 日本の古名に、「山菅」(やますげ、やますが)とよばれていた植物がありました。この「山菅」にあたる植物は何なのか。山中に生えるスゲの総称という説と、ヤブラン、あるいはジャノヒゲという説があります。

 万葉集には、その「山菅」(または菅)を詠んだ歌が14首。そのうちの1首を、斎藤茂吉が「万葉秀歌」の中でとりあげていました。

  ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨ふりしきしくしく思ほゆ
                   (巻11-2456)
 この歌の内容は、ただ、「しくしく思ほゆ」だけで、そのうえは序詞である。ただ黒髪山の山菅《やますげ》に小雨の降るありさまと相通ずる、そういううら悲しいような切《せつ》なおもいを以て序詞としたものであろう。山菅は山に生えるスゲのたぐい、或はヤブランリュウノヒゲ一類、どちらでも解釈が出来、古人はそういうものを一つ草とおもっていたものと見えるから、今の本草学の分類などで律しようとすると解釈が出来なくなって来るのである。
             (斎藤茂吉「万葉秀歌・下巻」 岩波新書

 現在、スゲといえばかやつりぐさ科のスゲのことですが、平安時代にはヤブランやジャノヒゲなども「山菅」としています。「山菅」が何を指すかは、歌の鑑賞とは別のこと、「万葉集」の歌を味わうときは、茂吉のいうとおりでしょう。それはそれとして、「山菅」を文献から推理することは興味のあることです。

 「山菅」のもうひとつの候補のジャノヒゲは、とても美しい瑠璃色をした実です。いちど本物を目にすると忘れられない色です。ヤブランと同じような所に生え、植栽されています。実は、地面を覆う葉の下につけるので、かきわけると見つけられます。

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 初夏に咲く ジャノヒゲの白い花   冬に見られる  瑠璃色の宝石のような実

 ヤブランとジャノヒゲの実は、変わっています。果実のように見えますが、植物学上「果実」ではなく、「種子」にあたります。
 花が終わると、果実の皮にあたる部分がむけてなくなり、種子がむき出しになります。ヤブランとジャノヒゲの実は、種子が裸のまま成熟するという植物界では珍しい特徴を持つ実です。

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 ジャノヒゲの実(左)とヤブランの実(右)の  種皮をむいたあとのタネ (胚乳)

 こどもの頃に夢中になったのが、小刀で切ったり削ったりして作った竹鉄砲。その玉につめたのが、スギの実、ヤブラン、ジャノヒゲの実でした。ポンッと威勢のいい音が心地よく、いろんな的を目がけて楽しんだものです。
 ジャノヒゲの実は、床にぶつけると弾むので、スーパーボールがわりです。誰のが高く弾むか競争し、飛んだ実はすぐ草むらに消えるので、新しい実探しに夢中でした。そんな遊びが、知らず知らずのうちに、ヤブランやジャノヒゲの分布を助けていたとは、あとになってからわかったことでした。

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       雪の日の ヤブランの実

 今のこどもたちはヤブランやジャノヒゲの実を見つけたら、どんな遊びをするのでしょう。草や木の実だけでなく、枯れ枝、草のつる、落ち葉や松ぼっくりなど、自然からの拾い物は、何にでも変身する素材です。それを使って何をつくり、どんな遊びをするか、空想や想像をしながら、新しいものを生み出すときほど、ワクワクすることはないでしょう。そのあとの心地よい充実感や満足感は、こどもたちを意欲的にしていきます。こどもの日々の遊び方は、大人になったときの人生の楽しみ方に通じています。(千)

◆昨年1月「季節のたより」紹介の草花

mkbkc.hatenablog.com

相撲はおもしろい ~ 暮らし方が変わるなかで ~

 大相撲の初場所は終盤戦に入っている。二人の横綱は共に途中休場しているが、土俵の上は連日活気のある取り組みがつづき、おもしろい。

 家で過ごす時間が多くなり、以前よりテレビ観戦に時間を割けるようになった。ゆっくりみられるようになったためか、ただおもしろいだけでなくなってきている。
 これまでは、誰が「勝った」「負けた」とか、好きな力士がどうだったかぐらいで終わっていたのだが、今はまちがいなく違ってきている。
 たとえば、以前は横綱を中心に土俵は回っていると感じていたが、今は、若手が土俵の中心になり、知らない力士が土俵の華になったりと、まさに戦国時代の感があって何よりも楽しい。

 また、このごろ、新しい発見(?)があり、私の観る態度が変わってきていることも、自分の中で相撲を更におもしろくしているように思う。
 最近までは、テレビの解説者は、元横綱大関クラスの話術の特別に長けた人が担当しているものと思って適当に聞き流していたが、時間の余裕は、しぜんに解説にもていねいに耳を傾けるようになってきた。多くは、元平幕だった親方たちの向こう正面での入れ替わりの解説・感想にまでも耳をすますようになっている。
 驚いたことに、これらのどの解説者の話もお見事。私のような者が聞いても的を射ている解説なのだ。

 私がこれまで見ている多くの力士の姿は、土俵上の他は、場所前を知らせる部屋でのぶつかり稽古ぐらい。それが力士の生活のすべてと思いこんでいた。でも、いろんな人の解説・感想は、タダ者ではできえない見事な内容なのだ。多くは、土俵上での「秒の世界」の勝負の勝者と敗者の内面まで見事に抉り出してくれている。
 これらの話は、ただのぶつかり稽古だけで身につけたものではない。一日1回、秒の世界の勝負に己のすべてをかけ、すべてをかけてきた人ゆえに話せる豊かな話なのだ。

 そう考えてくると、現役の力士の一つ一つの所作も気になってくる。自分の取り組みを待つ間、誰しも目の前の土俵を前にして瞑想状態だ。「秒」に向けての直前、内面は激しく動いているにちがいない。控えへの出入りの際も黙している。その間もまた、秒の勝負の前後を描き、反芻して止まないのだろう。
 私は、解説者たちの話に驚き、相撲の世界の見方があまりに浅かったと恥ずかしくも思うが、一方で、新たな相撲のおもしろさや見方を知ることができ、うれしくも感じている。( 春 )

正さん、タイを歩く(4)

《12月28日 目的地3「ダムヌン・サドウアック水上マーケット」へ》
 バンコクから南西に80kmほどにある水上市場。賑わいを見せるのはお昼頃までというので、7時過ぎには出発。行き方はいろいろあるのだが、ロットウー(ミニバス)に乗りたかったので、一旦電車でバンスー駅まで北上し、そこからタクシーで北バスターミナルへ。そこは長距離バスの出発地となっており、道を挟んだ向かい側にロットウー乗り場がある。と言っても200以上の方面に出発しているので、チケットを買うまで気が抜けない。

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 チケットカウンターがずらりと並んでいる。事前に調べていったので、すぐに買うことができた。80B(280円)だ。でも、時刻表などないので呼ばれるまでじっと待っているしかない。つまり同じ方面に行くお客が12,3人集まったら出発ということらしい。

《アクシデント発生!》
 水上市場のずいぶん手前がロットウー到着所。11時半頃だったかな。やれやれやっと着いたかとトイレ休憩しているうちに、一緒に乗ってきたお客たちは別の車に乗り換えて出て行ってしまった。
 あれれ?どうもここから後1kmほど先まで行かないとお目当ての水上市場ではないようだ。つまりは接続を逃したのかな。
 でも、よく見たらここは水上市場に行くボート乗り場でもある。店員に値段を聞いてびっくり。1000B、おまけに外国人観光客は倍の2000Bだと言う。これぞまさに、ぼったくりである。問題外。炎天下の中1km歩くか、通りでタクシーを探すか迷った。

《偽救世主現る》
 困っている我々のところに,おばさんが近づいてきた。このぼったくり店の店員かと思ったら、同じ状況になった韓国からの旅行者だった。タクシーを探して3人でシェアしようということになった。通りに出てきょろきょろ探していたら、地元の人が運転する車が止まった。どうも乗せて行ってくれるらしい。

《妥協しない韓国のおばさん》
 ありがたや、ありがたやと思っていると、急に細い路地に入って行くでないの。Why? 路地の奥は広い船着き場になっていて、何のことはない客引きされたのだ。タイ語と数字で “ さっきのところよりはずっと良心的。3人で1000Bでどうか ” てな感じ。ところが韓国のおばさんは,これに怒って、英語でがんがんまくし立てる。500BならOKをしつこく繰り返す。ぼったくりするならSNSで発信するとまで言い返し、全くらちがあかない。
 おいらは嫌になってきて、2人ならいくらか交渉すると、600B。それを500Bまでねぎり、帰りはロットウー乗り場に直接送ってくれるようにした。後で分かったことだが、水上マーケット本来の場所でボートをチャーターすると150Bで乗れるらしいのだ。おばさんが粘ってた理由が分かると共に、かなり旅慣れてると尊敬もした。こういう駆け引きは、けんかでもなんでもなく、日常そのものなのだと思った。
 やっと、1時間半の水上市場見学が始まった。

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   水路の両脇に店が並ぶ。         果物などの行商。

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 ボートから市場を眺めていたら、えっ!韓国のおばさんがいる!どういうこと?手を振ろうとしたが、何か果物を買おうと値切っている最中の様子で目が合わなかった。おそらく、ここまで車で送らせたに違いない。世界は広いなあ。水上マーケットの暮らしぶりとおばさんがセットで記憶された。

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 帰りのロットウー車内から池が延々と見えた。
 たぶんエビか何かの養殖だろうと思ったら、塩田だった。道沿いに大きな袋が積んでありsaltと書いてあった。海は数キロ南にあるはずで、何で塩が取れるのか不思議だった。

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バンコク駅から空港へ》
 早めに空港に行った方がいいと思い、19:00に乗車。とんでもなく混んでいた。突然、プラットフォームから駅員の大声が響いてきた。何を言っているかさっぱり分からない。そうしたら、乗客がどんどん降り始めた。何?何?どういうこと?とにかく降りた。駅員を探して聞いてみた。どうも乗客が多いので,もっと大きな列車に変えることのようだった。30分遅れで出発。ほんと、早めに来てないと何があるか分かんないと思った。

 列車で難儀したのが、次の駅のアナウンスがないこと。各駅の看板もあるんだかないんだか分かんないところも多かった。明るいうちなら景色で何とか分かるんだけど,夜はしんどかった。2日目からスマホが使えなくなったことも一因。位置情報が使えれば何のことはないんだが。その分、地元の人にだいぶ助けてもらった。みんな親切だった。

《終わりに》
 初めてツアーじゃない旅だったので、どうなるものやらと思っていたが、何とかなるもんだと思った。もちろん、ツアーに較べれば無駄な時間をいっぱい使ったのはごもっとも。でも自分の足で歩く自由さと持ってる知識をフル活用する充実感はあったように思う。まるで単独行のような口ぶりだが、何のことはない連れに連れて行ってもらっただけなのだ。とほほ。

《タイの印象》
 隣のカンボジアは田舎に行くまでの道々、貧相な屋台がずっと並んでいた。誰がここに来て食事をするのだろうかと不思議でたまらなかった。また、道路脇のゴミが半端でなかった。ビニール袋と発泡スチロール、ペットボトルなど山になっていた。30年近く続いた内戦の影響で中高年の男が非常に少ない。若者がうじゃうじゃいる。まさに国作りの真っ最中なのだろう。一方、タイ郊外は屋台ではなく、それなりに商店の形をした店が多かった。ゴミもないわけではないが,カンボジアに較べればないに等しい感じがした。それに見た限りでは田畑がきちんと整備されていたように思う。貧富の差はあるのだろうが、落ち着いて暮らしているように感じた。アジアで唯一植民地化されなかった(日本もそうだが,植民地を作ったので除外)理由が根底にあるように思った。