mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

対話から新たな考えや協同を ~ 新年を迎えるにあたって ~

 2018年も残り2日となりました。28日は午後から事務局員でセンターつうしん93号の発送作業。これがセンターの御用納になりました。毎度のことですが「つうしん」作りは特集内容で悩みます。やっとテーマが決まったと思ったら次は執筆者を誰に依頼するかで、また悩みます。つうしん読者がどのようなものを期待して待っているのか、センターからは何をみんなで考えて欲しいのか、この2つの狭間で、内容と執筆者を考えることになります。しかし、どうしても後者の方が強くでてしまうのが現状です。センターから読者への一方通行を、どうしたら双方通行になるか。私の課題です。

 話は変わりますが、最近、「対話」について考えることが多くありました。その一つは秋から冬にかけての沖縄の知事と総理や官房長官のそれ。国会での与野党の質疑の様子も同じです。いずれも「対話を重ねます」「真摯に答えます」といいながら、つかみ所のない意味不明な、不誠実な回答だけが目立ちます。

 かつて小説家の小野正嗣が「文学を理解するためには、その世界の中に入らねばならず、自分の一部を譲り渡して他者を受け入れることが必要で、自分が変わることだ」と出典は忘れましたが書いていました。文学を相手と置き換えれば対話の本質が見えてきます。モンテーニュも「言葉は、半分は話す人のものであり、半分は聞く人のものである」と述べています。

 今、私たちの周囲を眺めると、分かり合える相手としか対話しない風景が蔓延していませんか。理解できなくても、一緒にいて、話ができる。話を聞いてもらえる。そのようになれば、もっともっと風通しがよくなり、世界が変わって行くのでしょうね。
 センターつうしんも、対話を生み出す種になり、そしてその対話から新しい考えや行動が芽生えればと願いながらの年越しです。<仁>

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               つうしん93号の詳細は、こちら  から

冬の学習会は、1月5・6日の2日間です!

 今年も残すところあと3日です。昨日の、今年最後の仕事は『つうしん93号』の発送作業となりました。みなさんには、今年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 年明け最初の仕事となる「冬の学習会」についてご案内します。年明けの1月5日(土)、6日(日)の開催となります。研究センターは、初日・5日午前中「授業のおもしろさ・難しさ」と題して講座を持ちます。
 今回は、関玲子さんに東北少年院、青葉女子学園で行っている美術の授業実践について話をしてもらいます。ぜひ、「冬の学習会」にご参加ください。学習会の内容は、以下の通りです。

 ◆冬の学習会 開催日:1月5日(土)~6日(日)  会場:茂庭荘

  参加費:教員 3,000円(新任5年目までは半額)
      ┗ 1日目参加 2,000円、2日目参加 1,000円、1コマ参加 1,000円

                      元教師・保育士・一般 2,000円

                      ┗ 1日目参加 1,500円、2日目参加 500円、1コマ参加 500円

                      学生(無料)

      ※ 5日昼食 900円、宿泊 8,000円 については(要予約)

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 タイム・スケジュール

 1月5日(土) 

 ・9:30~(受付)

 ・10:00~12:00(教育講座)

    A.学級づくり「気になる子どもと学級づくり」
    B.作文「始めませんか、日記指導」
    C.算数「教え方、教えます」
    D.外国語「小学校での外国語学習 ~英語学習の現状とこんな授業は
         いかがですか?~」
    E.お楽しみ!「教室マジシャン ~手軽にゼロ円手品~」
    F.みやぎ教育文化研究センター「授業のおもしろさ・むずかしさ」

  ・13:00~15:10(開会行事・講演会)
      私が出会った子どもたち
           これからの学校で大切なこと

    講師 坂田 和子さん(全国生活指導研究協議会/研究全国委員)

 ・15:30~18:00(分科会)
   ★国語と教育 ★作文と教育 ★外国語と教育 ★理科と教育
   ★社会科と教育 ★算数・数学と教育 ★身体と教育 
   ★生活指導と教育 ★障害をもつ子と教育 ★学校と教育

  音楽と教育は、 山田市民センターを会場に6日/9時~12時のみ実施

 1月6日(日)

 ・9:00~11:30(分科会)
   ★国語と教育 ★作文と教育 ★外国語と教育 ★理科と教育
   ★社会科と教育 ★算数・数学と教育 ★身体と教育 
   ★生活指導と教育 ★障害をもつ子と教育 ★学校と教育

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今年最後の3連休は、映画ざんまい

 今年最後の3連休は、映画の世界を堪能しました。初日は仙台フォーラムで上映が始まったばかりの「十年」を鑑賞し、中日は「ハッピーアワー」や「寝ても覚めても」などで注目の映画監督・濱口竜介さんによる映画講座に参加しました。

 映画「十年」は、香港で大ヒットしたオムニバス映画「十年」の日本版として、10年後の日本を題材に5人の若手監督(早川千絵さん、木下雄介さん、津野愛さん、藤村明世さん、石川慶さん)がメガホンを取ったオムニバス作品です。ちなみに総合監修は、是枝さんが務めています。この日は、5人の監督のうち津野さん、藤村さん、石川さんの3人の監督さんが舞台挨拶にいらっしゃいました。監督の石川さんは、東北大学の物理学科を卒業されているとのことでした。

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 内容を少しだけ紹介すると「PLAN75」(早川監督)は75歳以上の高齢者に安楽死を奨励する国の制度、「いたずら同盟」(木下監督)はAIによる近未来の学校教育の姿、「DATE」(津野監督)は情報化社会における記録と記憶をめぐって、「その空気は見えない」(藤村監督)は原発による大気汚染から地下生活を余儀なくされた子どもの思い、「美しい国」(石川監督)は徴兵制が導入された日本について、それぞれ描いています。どれも絵空事と片付けられない今の日本の現実が感じられ、映画を観た後にいろいろ考えさせられました。決して明るい日本の未来を描いてはいませんが、ぜひ冬休みに観に行ってはいかがでしょうか。

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 中日に行われた「濱口竜介による映画講座」は、「他なる映画と」と題するシリーズの3回目。今回は「映画の、演技と演出について」がテーマでした。講座は、小津安二郎『晩春』、溝口健二近松物語』、黒沢清『CURE』などの作品をもとにしての話でしたが、とてもおもしろく刺激的でした。

 例えば、小津安二郎の『晩春』では、シナリオと映像を交えながら原節子が演じる紀子の台詞の語尾が「よ」なのか、「の」なのか、「わ」なのかで、明らかに演技が異なっているというのです。台詞の語尾の違いが、原節子の演技を導いていると言えそうです。映像をまじえているという点は異なりますが、国語の学習会で助詞の勉強をしているような気になってきました。

 さらに、講座の終盤で濱口さんが話題にされた『ジャン・ルノワールの演技指導』は、もっと刺激的でした(ちなみに映画監督のジャン・ルノワールさんは、あの画家のルノワールさんの次男坊なんだって、知らなかったなあ)。
 濱口さんが見せてくれたのは、映画監督のジャン・ルノワールが女優と差しで脚本の本読みを(指導)している場面です。そこで監督は女優に次のように求めます。

「一切感情を入れずに読むんだ。最初に台詞を読む時、感情を入れたらどうなる?(・・・)紋切り型になりどこかで見たようなマンネリの表現になる可能性がある。すでに試された使い古しの表現だ。(・・・)我々が目指すべきは、台詞を通して君とエミリーが結びつくこと。先入観を排して初めて結びつくことができる。既存の人物像から真のエミリーは見つけ出せん。それを見つけるのが我々の仕事だ。1本の映画を作る際、俳優と監督がすべての役をそうやって見つければ、名作が生まれる。従来の人物と違う独自の(固有の)役になるからだ。それこそが真の創造というものだ。」

「電話帳を読むように文字を読む。いかなる感情も交えず、ひたすら棒読みをするんだ。すると徐々に心が開き、精神が目覚めて、感情が沸き上がる。そして優れた俳優にはある瞬間が訪れる。火花が散って、突然人物が浮かび上がるんだ。

 講師の濱口さんが映像を見ながらたぶん書き起こした文章なのですが、聞きながら心と身体が震撼しました(太字の部分しびれます)。と同時に、その言葉に導かれるように頭に浮かんだのは、保育園や幼稚園、あるいは小学校の授業などで、先生が子どもたちに感情豊かに、イメージを喚起するように絵本や物語を読み聞かせている場面です。演技指導と、子育て教育の場面を同列で論じることには無理があるでしょう。しかし、教師が子どもたちに作品をどう手渡し・出会わせるのか、また授業を通じてどのような火花を散らそうと考えるのか。ジャン・ルノワール監督の言葉は、知っていてよいことだろうと思いました。(キヨ)

西からの風4 ~教室にて2~

もうひとつのイジメの場、部活

 バンド「神聖かまってちゃん」のリード・ヴォーカルである の子(のこ)  は歌う。歌「友達なんかいらない死ね」で。

ショットガンであいつの頭ぶちぬいてやる/  シチューで食べたいやつがいる/ お友達ごっこしなくちゃいけないな/ クラスのルールを守ったら/
午後2時 精神科/ 家族連れの君もいる/待合室ではな/ お互いまっしろね/
えっ まじ!?/ そんなセリフが言えたとき/ お友達ってやつがいるのかな/ えっ まじ!?/ そんなセリフが言えたとき/ お友達ってやつがいるのかいるのか/ えっ まじ!?/ そんなセリフが言えたとき/ お友達ってやつがいるのかな/ えっ まじ!?/ そんなセリフが言えたとき/ お友達ってやつがいるのかいるのか/
 ちょっと最近様子がおかしいみたい/ どーすればいいかわかりません/ お友達なんていらないのあたし/ クラスのみんな気持ち悪い/
タンタンタンタンタンタン/  タンバリンで首を吊っちゃった/ 君は死んだんだ/ タンタンタンタンタンタン/ タンバリンを一応鳴らして/ 一応生きてる/ 淡々と/ タンタンタンタンタンタン/ タンバリンで首を吊っちゃった/ 君は死んじゃったんだ/

 サビの部分、「お友達ってやつがいるのかな」の「いる」は「居る」と「要る」の掛け合い遊びになっていることはいうまでもないだろう。

 マイケル・ジャクソンにショート・フィルム「Beat it」や「Bad」を産みださせた往年のミュージカル映画『ウエストサイド物語』の世界、二つの移民たちの不良グループが決闘に突入し、そこへ主人公が割って入り、「お前たちは間違っている、敵を間違えている、やってるのは仲間殺しじゃないか」と叫ぶ、あの世界が日本の青少年世界から消えて、もう久しい。

 学生たちに配った僕の授業レジュメ。
「イジメは大多数のクラスメンバーの「傍観者」=共犯者化という必須の媒介項を得て、はじめて自分をイジメラレル者とイジメル者とのイジメ関係性として樹立する。今日のイジメ関係性の基本構造は、イジメラレル者から彼のコミュニティーへの一切のコミュニケーション関係性を剥奪する、《一対全体》の形をとった極端な異者排除の攻撃性からなる。「次第にAを避けるのがクラスの日常となっていった〔略〕これはAに対するクラス全体のいじめであった」・「次第にA君への仕打ちはクラス全体へと広がってゆき〔略〕当時の経験、あのクラスの雰囲気は今でも心に残っている」(諸君のレポートより、太字、引用者)。
 しかも、このイジメ共同体の成立は、その内部メカニズムとして次の《恐怖から発する共犯者化》を孕んでいる。先のレポートの言葉をそのまま援用すれば、「あのいじめはA君が悪いどうこうではなく、弱者をいじめ、優位に立ち、自分たちの地位を保つためだけになされたことだった。そして誰もが次には自分がいじめられるかもしれないという《恐怖》がそのいじめをなくさせることをできなくさせていた」というメカニズムを孕んでいる。つまり、イジメ共同体はその内部に「次には自分がいじめられるかもしれない」という内部的な恐怖・不安・猜疑を本質的に孕んだ倒錯的で自己欺瞞的ないわば疎外された共同体なのだ。別な言い方をすれば、それはメンバーの積極的な「全体」関与=自己贈与、メンバーの一人一人の「持ち味」つまり個性の深い承認と擁護、かかる相互承認が織り上げる相互補完性・相互支持性・相互擁護性を讃える全体感情、つまり仲間であることへの友愛感情の高揚、それらを前提にして初めて成り立つはずの《共同性》が、奇妙なことにそれら諸要素の全否定——無関与つまり徹底的なる自己防衛と保全・無関心・シニックな不信・冷感性——と見える諸メンバーの《傍観者》化によってこそ成り立つ奇妙な共同体、反共同性に内部腐食した共同体なのだ」。

 学生たちのレポート「私のイジメ経験」(イジメられたにせよ、イジメたにせよ、傍観者となったにせよ、自分ないしごく身近で)を読んでいて初めて気づいた。クラスという場だけが「イジメ経験の場」であるだけでなく、部活の場もまたきわめて深刻な「イジメ経験の場」になっていることに。まだ数え切っていない。総数398通のレポートのうち、部活での「イジメ経験」を報告するそれが何通あり、全体の何パーセントになるかは。それを突き止めるのはこれからの僕の仕事だ。

 しかし、深刻度5と深刻度4を合計した39通のうち9通はそれであった。約24%である。ここで言う深刻度5とは、「自殺を考えた、あるいはイジメてくる相手を殺したいと思った、それに準じる」というレベルのイジメ経験を指す。深刻度4とは、「長期不登校ないし転校を余儀なくされた」というレベルのイジメ経験を指す。自分のそれにしろ、きわめて近い範囲(肉親、親戚、親友、等)で見聞したそれにしろ。ついでに言えば、深刻度3は「4ほどではないが、明らかにトラウマとなった」というレベルであり、148通である。深刻度2は「イジメ経験はしたが、トラウマにまではならなかった」、179通。深刻度1は「イジメ経験をしないで済んだ、見聞もしなかった」である。わずか32通。だから明らかにトラウマ的質をもったイジメ経験を蒙った者は――加害経験も傍観者経験も含んだ意味での――187通、総数の約47%である。つまり、ほぼ半数の学生がトラウマ的質をもつイジメ経験の持ち主なのである。これは驚くべき数字だ。この事実から生みだされる端的な結果は、裏側にイジメの標的となることへの恐怖を秘めた極度の同調志向が、自己を主張することへの意気阻喪が、俺は嘘つきで卑怯者だという自己嫌悪が、今日の学生の内面を無意識のうちに支配するに至っているということだ。幼稚園時代まで入れれば、約14年間の歳月をかけて同調という無意識の支配が醸成されてきたのだ!

 半世紀前、森田童子は歌った。「ぼくはどこまでも ぼくであろうとし/ ぼくがぼくで ぼくであろうとし/ ぼくはどこまでも ぼくであろうとし/ ぼくがぼくで ぼくであろうとし」(「球根栽培の歌」)と。
 青春の戦線は移動したのか? それとも、実は、大きな弧を描いた果てにここへとワープしつつあるのか?

 或る学生の言葉。いわく、「その後わたしは自分を必死で変えて、ノリ良くウケるキャラになります。そうすれば仲間外れにならないからです。しかし、今まさに本当の自分と作った自分との我ギャップに苦しめられています。もしあの時、そんな自分でいいと、わたしがわたしに言ってあげられていたら、こんなに苦しむこともなかったかもしれません」。また別な学生のレポートにこうある。

「自殺も少しは考えた。…〔略〕…だがその原因となった『イジメ』にこれと言った加害者はいなかったと思う。…〔略〕…学校の中の…〔略〕…部活の…〔略〕…自分の中の『誰か』だったと思う。…〔略〕…いわば同調圧力のような、周りの期待のような、自分自身の自信や嫌悪のような、『空気』がここまで自分を追い詰め、実際に受けたイジメはその『空気』を目覚めさせた引き金のようなものに感じる。…〔略〕…でも、その『誰か』は確実に自分を刺してきて、刺されたと思う。…〔略〕…今の自分の性格は『誰か』に刺されたことで生まれたものだと思うし、その傷は未だ治っていない。一度殺されているようにさえ感じる」。

 僕は自分が書いた『創造の生へ』(はるか書房)という本を教科書として使っているが、この本のなかでイジメが与える心理的打撃の一つを「実存のタマネギ化」(他人用の仮面ばかりが増殖した果てに個としての人格の芯が溶けてなくなってしまうという意味で)と名づけ、その具体例として或る女子学生の次の言葉を引いた。

「私のイジメに関するトラウマは『自分を造ること』です。中三のときクラスでイジメがはやっていた。私はイジメられぬように常に中心グループでいつづけた。大学に入っても自分を造ることはやめられず、ハデな化粧、モテル服装、明るいそぶりを続け、目立つ存在、『明るい自分』を演じている。それが今の自分でみんなはそう信じている。造りすぎて造られた自分が素の自分になってきている」。

 この言葉はもう10年以上も前に僕が集めた学生のレポートから引いてきた言葉だ。しかし、状況はこの言葉を拡大再生産し続けてきたのだ。「今とここ」での言葉として。もう10年以上も。授業の終わりに学生の出す授業感想メモには「私もそうだ」という言葉が目立った。

 僕はこう学生に問題提起してきた。
 その人間の生き方を方向付ける世界観・人間観・価値観・美意識、等々がそれを基礎としてこそ生まれてくる経験というものがある。それを「基礎経験」と呼ぶことにしよう。するとこういう主導権争いが君の心のなかで戦われていることに気が付かないかい? 2つの相対立する経験があって、両方が、《俺の方こそを君の生き方を定める「基礎経験」に採用しろ》と、君に迫るのさ。例えば、一方では「イジメ経験」が君に迫る。《他人を信用するな、下手に自分を明かすな、クールに空気を読んで、自分を守りながら、そこそこの「おつきあい」で満足しろ! 「友情」なんて神話に君を身売りしたらおしまいだぜ、それが君があの経験から学んだことじゃないかい?》と。

 じゃあ、この「イジメ経験」と張り合うもう一方の経験とは何だ?
僕は、それを「共同性のポジティヴな経験」と名付けた。さっき紹介した授業レジュメの最後に「イジメ共同体」と対比してポイントを略記した「仲間であることへの友愛感情の高揚、それらを前提にして初めて成り立つはずの《共同性》」のことを。

 何とかそのイメージを伝えようと、往年の学校ドラマの傑作、アメリカ・リベラルの信念の映画『今を生きる』の幾つかの教室シーンなども見せ、ここには「個性実現・個性発揮応援共同体」としてのクラスイメージが鮮やかではないかと語りかけもした。また部活のチームプレイや学祭への屋台出店の経験を題材にして言葉を組み立てたら問題の所在を明示できるのではないかとも考え、授業レジュメの言葉をこう補ってもみた。「共同性のポジティヴな経験」が成立するための条件とは何か?

 第一に、それがイジメのような否定のための否定・破壊のための破壊といったサディスティクな快楽目標ではなく、何らかの創造と建設を第一義とする実践のなかで誕生する共同性であること。たとえスポーツのなかで敵チームを打ち破ることが問題になったとしても、それは相手に勝つほどの新たなプレイの創造によってこその勝利であるから、ポイントは自分たち自身の側の創造と建設にあることは明らかだ。
 第二、その実践のなかで真の仲間性の経験が誕生すること。それが誕生するためには次の諸契機が不可欠となる。1)全メンバーが自分のパート・ポジションの役割を自覚するために自分の立場と全体の立場とのあいだを往復できる視点を備え、全体方針の決定に必ず参画でき、かつ参画する意欲をもてること。2)メンバー相互のあいだに「彼のなかに我を見、我のなかに彼を見る」真の相互性が成立すること。いいかえれば、杓子定規にではなく、相手の状況や立場を相互に思い遣って役割分担を決め、かかる思い遣りの相互性への感謝と信頼があるからこそ全メンバーが自分の役割責任を断乎として引き受ける自発的決断が誕生すること。3)このプロセスの積み重ねのなかで、各自がその短所にもかかわらず、その独特な長所によって、かけがえのなさ・代替不可能性を帯電したメンバーとして皆から承認され、擁護され、感謝され、支持されること。四、かくて共同目標の追求の実践のプロセスそのものがメンバー一人一人の個性のあらためての再評価であるだけでなく、その隠れた可能性の発見であり、その相互承認と称賛であること。つまり仲間性の再生産であり新生産であること。

 今、僕は嘆息せざるを得ない。部活こそは、今や、否、否、実は昔から、「共同性のポジティヴな経験」が誕生し生きられる場どころか、むしろ「イジメ経験」の温床の場であったこと、この事実に気付かされて。
 如何にしたら、僕は、「イジメ経験」と「共同性のポジティヴな経験」とが「基礎経験」たる地位を得んとヘゲモニー闘争を展開するその磁場を、学生たち自身の経験から紡ぎ出すことが、浮かび上がらすことができるのか?
 398通のレポートの森が僕を待っている! (清眞人)

教育や学校が大事にすることは ⁇

 過日の国語学習会で、私に与えられた時間と役割は限られており、他のことに時間をとったら、役割を果たせなくなることを承知の上で、とうとう自分を抑えきれずに、冒頭で直接関係のない(?)ことをしゃべってしまった。雑誌「世界」12月号「移民社会の〈闘う民主主義〉」(辛淑玉文)の中の次の部分を紹介し感想を付したのである。

 ~~ある日本人駐在員の子どもがドイツの小学校に入学したが、得意なはずの算数の成績が悪かったという。親は差別されていると思い、学校に抗議に行った。学校側は、「授業は生徒と教師が一緒に作るものです。答えが合っているだけでは授業に参加したことにはならないのです」と答えたという。つまり、3+5=8という答えを出したとき、どのような考えでこの結果に至ったかの説明が求められるのだ。正解することよりその説明ができることのほうが重視される。そして、分からないときは「分からない」と伝えることが大事なのだ。
 その学校の対応に、母親は「まだドイツに来たばかりで言葉が不自由だから」と言ったが、学校側からは「他の国々から来た子どもたちはもっとドイツ語ができません。それでも彼らは授業に参加しています。あなたのお子さんは、教室には来ていても授業に参加していないのです」と、きっぱり言われたそうだ。
 真面目に出席したから100点なんて発想はここにはない。黙って座って良い点を取ることではなく、「なぜ?」を考えて道筋をつけることが重要で、そこから人間としての想像力が生まれる。民主主義は参加することから始まる、と教育関係者は口をそろえる。~~

 私は、つねづね、日本の教育に強い危機感を抱いており、それを考えてもらうのに格好の材料と思い、紹介せずにはおれなかったのだ。
 学校に抗議に行った母親は、今の日本では、決して特別な方とは言えず、多くの教師もまた同様ではないだろうか。

 いつの間にかすっかり定着してしまい、そのことに対処することが、学校の、教師の、第一の任務になっているような国が行う「全国学力テスト」。それは、都道府県、市町村別の平均点のランクで、教師を、子どもを、そして親までをも縛りあげる。いつの間にか、そのために、ドイツの教師の言うことの大事さを承知しながらも、教師は、そこに力点をおいてしまう。
 教科書も採択制にはなっていても、この全国学力テスト体制が定着していけばいくほど、どの教科書会社も採択部数が会社のイノチになるので、創造的な教科書は生まれるどころか、限りなく特色、創造性は失われ、「国定教科書」に近くなってくるのではないか。

 このようにならないように、世の流れによっては、他の省庁と、体をはっても「教育」を守らなければならないのが文部科学省なのであろうが、これがまた推進するのが任務と思いこんでいるのだから、どうしようもない。
 この、ドイツの話は、現在の日本の教育を考えるに決して小事ではなく、少なくとも直接教育に携わる人々は子どもの「大事」と受け止めてほしい。

 議論の巻き起こることを切に望む。( 春 )

西からの風3 ~私の遊歩手帖2~

 ◆ 「叫び」ムンク

 僕にとって「遊歩」とはつねに共振すべき何ものかとの出会いを求めての歩行である。——

 そう書いた。この「私の遊歩手帖」の第一回目の終わりに。ルオーの作品「ミセレーレとゲール(憐れみと戦争)」との出会いを糸口にして。その出会いからひと月も経たないうちに今度はムンクの作品「叫び」に出会った。初めて実物に接した。長らく、一度は実物を見たいものだと思っていた、その「叫び」に。同じく上野にある別の美術館で開催されていた「ムンク展」で。

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 その日の午後、数週間前に亡くなった学生時代の或る先輩の偲ぶ会があり、そこで年下の或る友人と再会した。45年は経っていた。死者の招きによって、おそらくもう会う機会もなかったはずの昔の友人たちと奇しくも再会する、そういう年齢にわれわれはなったというわけだ。或る友人夫婦が僕たち2人に泊ってゆけと声を掛けてくれ、結局彼らの家で僕たち4人は深夜まで語りあった。

 その友人は物語った。
 実は、20数年前、一時自分は精神を病んで3ヵ月精神科の病院に入院した。そのおかげなんだ、今こうして先輩方と再会のおしゃべりにうつつを抜かせるほどの自分に漕ぎつけられたのは、と。

 彼は言う。
 あの時、死神が自分には見えたのだ、と。気分が落ち込む、文字通り暗い穴のなかへと沈んでゆくように自分を闇が包みだす、すると闇の向こうに誰かいて、そいつが幽霊のように静かに地面をすり足で歩くようにゆっくりと近寄ってくるのが見える、と。「漫画通りなんですけど、でも、そうなんですよ、ほんとうに死神を見るのです」と。
 また、こうも言った。

 今なら「統合失調症」と呼ぶわけですが、昔の言い方なら「精神分裂症」でしょ。ほんとうに、「バキッ」と割れる音が聞こえるんですよ。自分のなかがバキッと割れるんです。心が二つに、あるいは心と体とが二つに。どちらも同じこと、とにかく割れるんです、バキッと。その音が耳に届くんです。
 割れると、自分がすっと下へ落ちだす。支えがなくなって、落ちるしかなくなる。穴のなかに。もう駄目だと思いましたね。自分を支えようがない。
 それで怖くなって、翌日這うようにしてかかりつけの精神科に行ったら、即入院しなさい、病院が君を守るから安心しろ、と。落下しても病院が守ってくれてると自分に言い聞かせなさい、毎日、日に何回も、私なり看護婦なりがベッドの上の君を診察にきて、現にこうして自分たちが君を守ってるんだから安心せよ、と声をかける。君はそれを毎日毎回確認できる、それを続けていると、死神も割れ音もだんだん消えてゆく、或る日気が付くと君はもう大丈夫、必ずそうなるから、と。三ヵ月経ったら、ほんとうにそうなりました。 

 僕は彼の言葉を聞きながら、その日の午前中自分が見たムンク「叫び」を思い出していた。また彼が死の床に臥す姉を描いた幾つかの絵を。その一枚には死神が描かれていた。
 しかし、僕はムンクの絵の話は彼にしなかった。「君がいま話してくれたその通りのことを今朝見たムンクの絵は描いていたよ」とは。彼は僕たちにそのように打ち明け話をできるほどにもうとっくに精神の回復を果たしているにせよ、もし僕の話がきっかけとなって彼にフラッシュバックが起き、共振が生じ、割れ音の世界に引き戻されかねない危機が彼を襲うかもしれないと恐れたからだ。
 僕は彼の話をなにほどか実感できた気がした。それはムンク「叫び」を見たからだった。
 当時ムンク「叫び」に寄せて書いた言葉が、絵の横に掲げられていた。 

  夕暮れに道を歩いていた —— 一方には町とフィヨルドが横たわっている
  私は疲れて気分が悪かった —— 立ちすくみフィヨルドを眺める
  太陽が沈んでいく —— 雲が赤くなった —— 血のように
  私は自然をつらぬく叫びのようなものを感じた
  叫びを聞いたと思った
  私はこの絵を描いた —— 雲を本当の血のように描いた
  色彩が叫んでいた
  この絵が〈生命のフリーズ〉の叫びとなった 

 友人の場合は「バキッ」と割れる音だった。彼を包んだのは墨汁のような暗闇であった。ムンクの場合は「自然をつらぬく叫び」であり、しかもそれは「色彩の叫び」であり、彼を包んだのは「血のように赤い」夕雲のうねりが引き起こす世界全体の苦悶に満ちた動揺であった。二人によって語られるのは全然異なる二つの世界の在りようである。

 しかし、自分を包む世界が突然変容し、捉えがたい不気味な不安に満ちたうねりを生じ、たちまちそれが自分に伝播し、自分の身体が同じようにくねりだし、外から耳を打った「世界」をつらぬく叫び・悲鳴・割れ音がたちまち自分の身体に入り込み、今度は自分を足元から頭へと貫き、内側から自分の口を開けさせ、再び外へと発出し、そこに一つの還流を成し遂げるという事態、この事態が生みだす突如たる一体性の身体感覚、それこそはかつて精神を病んでいた頃の友人とムンクとを結びつける当のものだと感じた。そのとき人間は、ムンクが描いたとおり、その叫びと音を聞くまいと必死で両耳を手でふさぎながらも、ただぽっかりと口を開けるほかないのだ。目を恐怖に見開いたまま。自分の内側からその叫びと音とが自分を貫いて外へと出て、そうして還流を果たすことに対して、もはや彼は何ひとつ抵抗できない。叫びと割れ音に「為すがまま」になるほかない。

 ムンク展と、そこで購入したカタログから僕は三つのことを初めて知った。
 一つは、ムンクはこの「叫び」の絵に関しては八つのヴァージョンを描き、また右に引用した言葉に関しても何度も書き直していることであった。その八つのヴァージョンを見て、確かめることができた。先の言葉にあるとおり、決定的であったことは《血のように赤い夕雲が世界を叫びで貫き、くねらせた》という宇宙的経験であり、それを如何に描くかがテーマであったということを。というのも、「叫び」で有名なやせこけた坊主頭の男が耳をふさぎ悲鳴を上げているというヴァージョンの他に、「絶望」というタイトルの絵、帽子をかぶった紳士が、あるいは無帽の青年が橋から川をぼんやりと眺め、その上にやはり波打つような血の夕雲の空のうねりが描かれるという二つのヴァージョンがあったからだ。子供もまじえ七人の男女がやはりうねる夕雲の空を背景とする「不安」という絵もあった。また墨の黒だけのリトグラフ「叫び」のヴァージョンもあった。そこでは「血のような赤」という色彩はもちろん消えていたが、夕雲の不気味なうねりが世界全体を動揺させ、主人公に悲鳴をあげさせるという構図はそのままだった。

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 二つ目は、「叫び」を中核とするムンクの《愛と死と不安》を中心テーマに押しだす連作は「生命のフリーズ」と呼ばれるのだが、この「フリーズ」という言葉は建築用語で建物を飾る帯状の装飾部分を指す言葉だということであった。僕はてっきり、あの「パソコン画面がフリーズした」と言うときのそれ、「凍結」という意味だと思いこんでいたのだが。しかし、「生命の凍結」の諸場面を人間という建築物を飾る帯状のいわば首飾りとした、それがムンクの芸術だった。これは「言い得て妙」ということにはならないだろうか?

 三つめは、ムンクの描いたニーチェ肖像画の存在である。ニーチェの妹がニーチェの死後、彼の写真を基に肖像画を描くよう彼に依頼した。ムンクは友人の一人に自分は「山間の洞窟にこもる『ツァラトゥストラ』の作家として彼を描きました」と手紙をしたためたそうだ。ムンクは若い頃からニーチェの愛読者であった。そして、この肖像画にはあの「叫び」での《血の色の夕雲のうねり》が背景として描き入れられているのだ。

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 「叫び」は『ツァラトゥストラ』のエンディングに突入する場面に登場する決定的なモチーフでもあった。僕は思い出した。自分がこの『ツァラトゥストラ』における「叫び」についてかつて書いたことがあったことを[1]。その一部を引こう。

 『ツァラトゥストラ』最終部(四部)の「窮境を訴える叫び声」章にツァラトゥストラの言葉としてこうある。「わたしがこれまで留保し続けてきた、わたしの最後の罪」、それは「同情」なのだ、と。イエスの「同情」道徳に対する批判のいわば頂点をなす章は「最も醜い人間」章だが、その章は次の印象的な成り行きから始まる。
 —— ツァラトゥストラは「大いなる窮境に見舞われて、この窮境を訴える叫び声を発している者」の姿を求めて山また山、森また森をさまよって来た。遂にその者と出会う。「人間のような姿かたちをしているが、ほとんど人間とは見えず、何とも言いようのないもの」、「最も醜い人間」がその者であった。ツァラトゥストラは彼と言葉を交わすや、突如地面に昏倒する。というのは、「同情が彼を襲った」からだ。あれほど彼が嫌悪し退けていたはずの「同情」の感情が彼自身を捉えてしまったことへの驚愕のあまり、彼は一度地に倒れなければならなかった。だが、これ以降そのようなことは二度と起こることはないであろう。というのも、「わたしがこれまで留保し続けてきた、わたしの最後の罪」たる「同情」がその最後の罪を犯し、それゆえにそれを最後として消え去るからだ。
 そのようにして「同情」という徳はツァラトゥストラニーチェに最後まで憑きまとっていた問題だったのだ。つまり、それは正真正銘の彼のイエス問題だったのだ。

 Lは急いで次のことを欄外に注として書き添える。
 『ツァラトゥストラ』最終部の全体はその文学形式においていわば破格的なメタフォリカルな達成を示す。「高等な人間たち」と呼ばれるそこでの登場人物たち、「二人の王」、「失職した教皇」、「邪悪な魔法使い」、「みずから進んで乞食になった者」、「さすらい人にして影である者」、「年老いた予言者」、「精神の良心的な者」および「最も醜い人間」、彼らはそれぞれツァラトゥストラニーチェの分身である。ツァラトゥストラと彼ら一人一人との対話はニーチェの自己内対話であり、自らのそれぞれの分身との対話である。彼らの一人一人は実はニーチェ自身なのだ。

 彼らはツァラトゥストラの洞窟に招かれる。ツァラトゥストラはこういう。どうか来たまえ、と。「わたしの洞窟は大きく、深く、多くの隅々を持っている。そこでは、最も深く自分を隠す者も自分の隠れ場を見いだす」と。この洞窟の全体、すなわち、それがニーチェなのだ! それが私なのだ! と。

 ここでもまた、ムンクと僕とのあいだに共振が起きた。
 僕の遊歩は続く。(清眞人)
 (死神の出現というムンクのテーマについては紙数の都合で省略する。)

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[1] 拙著『大地と十字架――探偵Lのニーチェ調書』思潮社、二〇一三年、第二部「大地と十字架」・「窮境にある人類への同情のあまり神はその同情のなかに溺死する」節

季節のたより18 ビワ

寒さに向かって 咲きだす花

 寒さに向かって咲き出す花があります。サザンカ、ツヤブキ、ヤツデなど、数は少ないですが、ビワの花もその一つ。多くの草木が春の暖かさを待って花を咲かせるのに、これらの植物は進化の過程でわざわざ他の植物とは逆の生き方を選んでいます。

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    初冬に花を咲かせるビワ。甘い香りが漂ってきます。

 ビワは秋から冬にかけて花を開き、春から初夏までにじっくりと実を育てる常緑樹です。関東以南、四国、九州などの温暖地に育つ樹木と思っていたのですが、宮城県内の神社や境内、住宅地の庭などに植えられていて、冬に花が咲き、初夏に果実が実るまでの姿を見ることができます。

 ビワの花の蕾は、褐色の毛に包まれていて、下向きにつきます。冷たい雨や冬の雪に冷えないように、花を守っているようです。
 11月頃、毛布にくるまれたビワの花は、寒気の中でそっと顔を出します。花びらは5枚、クリーム色を帯びた白い小さな花がたくさん集まって、体を寄せ合うように咲き出し、12月を盛りに、2月中頃まで少しずつ開花していきます。

 ビワの葉は、濃い緑色で大きく長い楕円形。葉の表面は、初めは毛がありますが、生育するにつれて消え光沢が出てきます。葉の裏面は、淡褐色の毛におおわれていて、手で触るとビロードのようにあたたかです。ビワの葉は、厳しい寒さに耐え、冬の弱い光をしっかりとらえて、光合成するしくみを備えています。

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 長く大きいビワの葉     暖かい毛に包まれた蕾   寄せ集まって咲く花

 ビワの花に顔を寄せると、甘くいい香りがします。こんな寒い時期に花粉を運ぶ虫たちはいるのでしょうか。
 観察してみると、風もやんだ暖かい日には、ミツバチやハナアブたちが、羽音が聞こえるほど集まっていました。昆虫だけでなく、メジロヒヨドリもやってきました。真冬に咲くビワの花は、冬をすごす昆虫や野鳥たちの貴重な蜜源になっています。ビワは花にたっぷりと蜜を蓄え、開花の期間を長くすることで、彼らを呼び寄せ受粉を確実にできるようにしているのです。
 花の蜜を求めて旅をする養蜂家の人たちは、気候の比較的温暖な千葉県南房総のビワ栽培農家をたずねて、養蜂のミツバチをひと冬すごさせ、最良のビワ蜜を集めているということです。

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 冬、大雪に見舞われることもあります。  冬の虫たちの貴重な蜜源です。

 ビワは6月頃に橙色の実をつけます。
 詩人のまど・みちおさんは、「びわ」(作曲 磯部俶)という童謡に、

 びわはやさしい 木の実だから/だっこしあって うれている
 うすい虹ある ろばさんの/お耳みたいな 葉のかげに

と作詞しています。寄せ集まって寒さに耐えて咲いた花が実になると、その実は押し合うようにつきます。その姿を、まどさんは、やさしい木の実だから、だっこし合っているとうたいます。熟れた実を葉かげに守る長く大きい葉は、うすい虹あるろばさんのお耳みたいと、小さな子どもにぴったりの感覚で表現しています。
 この童謡を口にすると自然とやさしい気持ちになれるのは、小さな子も大人も変わりがないようです。童謡(詩)の不思議な力を感じるのです。

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 青い実は、ゆっくりと大きくなります。 実りの季節、だっこし合うビワの実

 ビワの実は、初夏の到来を告げる旬のもの。ほどよい酸味と甘味で、のどをうるおす好適な果物ですが、果肉のわりあいが少なく種がでかいのです。その種を見て、まどさんは、「ビワのたね」と言う詩もつくっています。

 てのひらに つまみだされても/まだ よりそって 眠りこけている
 クマの子の兄弟たちのように/まるまる ふとって

 ビワの実を食べたことのある人は思わずうなずくのでは。橙色の果肉から飛び出したでかいセピア色の種の存在感が、何ともユーモラスに表現されています。

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   住宅地の庭で実をつけたビワの実。寒冷地でも-10℃程度まで結実します。

 初夏の旬の果物であるビワの実は、季節が短く傷みやすいので、お店では高級品あつかいになっているようです。
 仙台市の自校給食校に在職していたときに、栄養士さんの粋なはからいで、給食の果物にビワがついたときがありました。
 子どもたちは見慣れない果物にびっくり、ビワの実を初めて口にした子もいました。この時に、ビワの花は寒い冬に花を咲かせて、冬から初夏にかけてじっくりと実を大きくしていくことを話しました。花は春に咲くものと思いこんでいた子どもたちには新鮮な発見だったようです。
 リンゴでもブドウでもふだん口にする果物や食べ物が、どんなふうに花を咲かせ実を実らせて、ここに届いているかに思いをはせること、それは私たちが自然からの恵みをうけて、今生きているということを感じとることにつながるのではないかと思うのです。        
 最後に、懐かしいと感じる方はおられるでしょうか。「花ごよみ」の一節です。

 北風寒き やぶかげに
   びわの花咲く 年の暮れ ・・・  尋常小学校唱歌  (千)