mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより1 オオイヌノフグリ(その2)

  寒さの季節を選んで生きる

 早春にこぼれるように咲く「オオイヌノフグリ」は、秋に種が芽を出し、冬に向かって生長します。なぜわざわざ寒くなる季節を選んでいるのでしょうか。 

 寒い季節になると、背丈の大きい植物は枯れてしまうので、それが、「オオイヌノフグリ」にとっては好条件なのです。
 地面も陽ざしも独り占めできて、十分に葉を広げ根を伸ばし、分布を広げることができます。冬が来ても、地面にはうように密集して風をさけ、葉や茎の短い毛で保温しながら耐え抜きます。氷点下の朝に見たら、葉や花のつぼみが霜や氷に包まれていました。でも凍ることはありませんでした。細胞内の糖濃度を高めて凍らないしくみになっているのです。

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 「オオイヌノフグリ」の花は、朝方開いて夕には閉じる1日花です。曇りや雨の日はつぼみのままですが、陽がさすと、まるで光センサーが働いているかのように一斉に花開きます。一斉に花開くのは昆虫を呼ぶしかけ、花の模様で蜜のありかを知らせて花粉を運んでもらおうと必死です。でも、寒い冬は虫も少なく受粉できる花も限られます。そんなときは、夕方、花が萎む頃にオシベがメシベに寄り添うように動いて自家受粉してしまいます。受粉率は100%に近いといいますから、確実に種子を残すいのちのしくみに驚くばかりです。

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 「オオイヌノフグリ」は、春の終わりまで花を咲かせ、野原が草丈の高い草でおおわれる頃に、種子にいのちを託して枯れていきます。
 弱そうに見える小さな草花は、過酷な環境を生きる条件に変えて、たくましく、そのいのちをつないでいるのでした。

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 早春に低学年の子どもたちと授業でよく野外に出かけました。「オオイヌノフグリ」はすぐ見つかります。名前を教える前に、好きな名前を考えあうのも楽しく、後で名の由来を話すとおもしろがってくれます。瑠璃色の小さな花の生き方にも興味が広がり、2つ並んだ果実を見つけるまで話題がつきませんでした。小さな草花ですが、子どもたちの好奇心や探究心を十分に刺激する力を持っていました。(千)

    ※それぞれの写真をクリックすると拡大してみることができます。

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季節のたより1 オオイヌノフグリ(その1)

 きれいな花が「ふぐり」なわけは?

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 寒さが和らぎ、あたたかな陽ざしが地面をてらすようになりました。野原を歩くと瑠璃色の花がこぼれるように咲いています。

  犬のふぐり星のまたたく如くなり
            高浜虚子

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  この句は「オオイヌノフグリ」の花を詠んだものでしょう。早春に咲く花の一つ一つを夜空に明滅する星の輝きに喩えた美しい自然諷詠の句です。

 「犬のふぐり」とは雄犬の「陰嚢」の古語。それが分かると、この句の「ふぐり」と「星」の組み合わせに、どことなくユーモアが漂ってくるからおもしろいです。
 「オオイヌノフグリ」は明治に渡来した帰化種です。英名は「キャッツ・アイ(猫の瞳)」で、その高貴な呼び名の花に「オオイヌノフグリ」と命名したのは牧野富太郎博士でした。美しい花を「ふぐり」呼ばわりとはかわいそうと、この花の愛好者からは不評です。 

 牧野博士が、もともと在来種で「イヌノフグリ」と名づけた花がありました。その花は咲いても気づかないほど小さいのに、2つ並んだ果実は目立ち、「犬のふぐり」にそっくり。山と渓谷社・「春の野草」図鑑では、「思わず笑ってしまうほどよく似ている」と写真と一緒に紹介されています。 
 牧野博士が東京お茶の水の土手で見つけた外来の瑠璃色の花は、「イヌノフグリ」と近縁種だったのです。それで、「イヌノフグリ」の「大形」の花と言う意味で「オオイヌノフグリ」と命名したのでした。

 美しい花のイメージを愛する人からは、瑠璃唐草(るりからくさ)、天人唐草、星の瞳などの別名が提案されましたが、今はこの愛称がすっかり定着してしまったようです。 

 もし、「オオイヌノフグリ」の発見が「イヌノフグリ」の前であったなら、可憐な花の名が名づけられていたかもしれません。(千)

  ※それぞれの写真をクリックすると拡大してみることができます。

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 ※ 研究センターのホームページや「つうしん」の写真の多くは、千葉さんが撮影して下さったも
   です。そのことは、すでに1月のdiaryで紹介しました。とてもすてきな写真をたくさんお持ち

   ので、それらの写真と一緒に、その写真を撮ったときの思いや情景、あるいは被写体の動植物の
           ことなど、何でもよいからdiaryに書いてくれませんかとお願いしていました。その要望に応えて
   下さいました。これからもよろしくお願いします。(キヨ)

春の教育講座・案内 ~ 新年度を素敵な出会いと学びに ~

 進級・進学の新年度は、子どもたちも先生も期待や不安を胸にドキドキですよね。
 日ごろから協力いただいている教職員組合の「春の教育講座」を紹介します。新年度のスタートを楽しく・素敵な出会いの一歩にするために、各地でさまざまな春の教育講座が開催されます。ぜひ参加してみてはいかがですか。

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   詳細については、こちら をご覧下さい。

マナシオ! ~新年度に向け生徒さん・ボランティアを募集

 昨年9月のdiaryで、元教師のみなさんが中心になって、学び処しおがま(通称:マナシオ)という居場所をつくって、学習支援に取り組んでいることを紹介しました。学習(勉強)だけでなく、季節などに合わせていろんな文化的活動も取り入れています。
 現在は、新年度に向け新たに生徒さんやボランティアを募集し、さらに充実したものにしていきたいとのこと。ぜひ興味関心を持った方は連絡してみてください。学校とはちがう新たな世界(居場所)が広がると思います。

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吉野弘さん「夕焼け」から、自然と人間的なるものを妄想する

 いま、3月末発行予定の(と言いつつ、4月初めにずれ込みそうなのですが・・・)「センターつうしん」90号づくりが佳境に入っている。内容は太田先生によるいじめについての論考や、昨年12月の中村桂子さんによる「高校生公開授業」の報告と感想などだ。

 ところで、しなければならないものに追われると、そこからちょっと逃避したくなる。今は吉野弘さんの『くらしとことば』に手が伸びている。
 吉野弘さんと言えば、教科書教材にもなっている「夕焼け」の作者として記憶されている方も多いのではないだろうか。「いつものことだが/電車は満員だった。/そして/いつものことだが/若者と娘が腰をおろし/としよりが立っていた。」ではじまる詩だ。その詩の中には「やさしい心の持主は/いつでもどこでも/われにもあらず受難者となる。」という大変印象的な一節が出てくる。八木忠栄さんは『くらしとことば』の解説のなかで、鮎川信夫は「現代における〈受難〉の意味を、心のやさしさに求めるところにこの詩人に特有の、人間性への愛と理解が感じられはすまいか」と評した、と述べている。

 その『くらしとことば』のなかに、「やさしさ・エゴイズム・想像力」という表題のエッセイが入っている。A、B二人の対話形式で、Aの《好きでもない人にやさしくすることはできるのか?》《できたとしたら、それは自然なことなのか、不自然なことなのか》という問いから始まって、表題にもなっているエゴイズムや想像力へと話は進んでいく。
 面白いと思ったのは、そのやり取りの中で人間の内面には「エゴイズムに忠実であろうとする『自然のままの自然』とエゴイズムを制禦しようとする『人間的な自然』」という2つの自然が同居していて、その2つの間を絶えず、往ったり来たりしているのが人間だと述べ、同時にそこから、やさしさとは「エゴイズムの持つ自己中心性を悲しげに見つめている人間の眼差しなんじゃないかという気がする」とも語っていることだ。
 生きるという目的に向かってしゃにむに突き進んでいく自己中心的なエゴイズムを生命の本質である「自然のままの自然」とし、そのエゴイズムが自分だけでなく他者にも同じようにあることを理解し認め、想像力を働かせながら他者のエゴイズムにさえコミットしようとする「人間的な自然」。吉野さんの考える人間的なるもののあり様が見えてくる。

 さらに二人のやり取りは、詩「夕焼け」の核心へと迫っていく。

電車の中で少年が老人に席を譲る―よく見る光景だけれど、そういうときの少年に好ましさを感じるのは、少年が自分のエゴイズムを裏切るという不自然なことをしたからなんだ。少年だって、席に坐って楽をしていたいのは当然で自然なのだ。その自然な欲望に忠実でない点、つまり不自然である点に、僕は人間を感じる。少年には他者が見えていると僕は思う。(中略)
それは、エゴイズムに目を開いたことによって促された人間的な想像力だともいえる。やさしさは想像力だといったほうがいいかもしれない。
良くも悪しくも人間であることのために免れることのできないエゴを見通す想像力、そこから導き出されてくる人間への配慮、それがやさしさなんじゃないか。

 「つうしん」づくりから逃れようと吉野さんを頼りにしたのだけれど、「やさしさ」といい、「自然」や「想像力」といい、どれもみな「つうしん」のいじめや中村桂子さんの公開授業(生命科学生命誌)の内容に関連していることに気づく。しばらくは、やっぱり「つうしん」づくりからは逃れられないということなのだろう。がんばります。(キヨ)

「安倍一強」政治、招いた責任は私たちにも

 政治の世界では、私たちには通常考えられないようなことが次々と起こっている。日本は「先進国」(何を基準にして言っているのかはわからないが)と言われる国なのだろうと言っている(言われている?)が、とてもとても・・・、恥ずかしい限りだ。
 もともとそうだったのか、それとも急激に劣化したのかもわからない。政治家(屋)のやっている・言っていることも呆れることも多いし、今騒いでいる財務省文科省の官僚の問題もあまりにひどい。政治家や官僚に矜持というものがあるのだろうか。
 森友問題が解明されていけば、財務省のもつ問題ももっと掘り出されるのだろうが、どう進むのだろうか。文科省の前川前次官の授業に関する市教委への調査も呆れてしまう。今回は、対応した市教委や校長が言いなりにならなかったことにホッとしたが、調査や録音テープの提出をさせるよう働きかけた議員に似た方々が国会内をうろうろしていることを思い描くとゾッとしてしまう。

 「同時代を見る眼」(1998年刊)は、岩波の元社長・安江良介さんが病に倒れるまでの6年間、「信濃毎日新聞」に書いたコラムを集めた本である。
 その91年10月12日のタイトルは「政治改革の根本的再検討を」であり、その一部に次のようなことが書かれている。

 ~宇野・海部両政権がその極度の脆弱さにもかかわらず、多年の懸案に取り組まざるをえなかったのは、当然のことであった。
  だが、「政治改革」は「小選挙区制導入」に転じた。宇野内閣のもとに発足した第8次選挙制度審議会は「小選挙区比例代表並立制」を答申し、海部内閣はこれにもとづいて政治改革関連3法案を国会に上程した。しかし、この小選挙区制によれば4割の得票で8割前後の議席を1党が占有することになる。「政治腐敗の解消」が、なぜ、こうした乱暴な選挙区制に転ずべきなのか。~

 読んで私は驚いた。初の小選挙区比例代表並立制による選挙は96年10月20日だった。安江によれば、制度が提案されたのはその5年前であり、それが実施されれば、「4割の得票で8割前後の議席を1党が占有する」ということが試算できていたのだ。私はそんな議論や数値を知らずに1票を投じてきた。

 自民党内の内情は知らないが、「安倍一強」とよく言うが、そうなることをわかって今の選挙制度を許してきた自分たちにも大いに責任があるということにもなりそうだ。政治家・官僚の非を言いながら、私(たち)も、知らないがゆえに政治・行政のいいかげんさに加担しているかもしれない。己の在り方をいつも見つめていかなければ世の中はよくならないのだとつくづく思う。( 春 )

カムバック!野田委員 ~第7回いじめ問題再調査委員会より~

 3月14日、第7回いじめ問題再調査委員会(再調査委)が行われました。ご存じのように前回会議は激しい発言の応酬がなされ、委員会そのものが空中分解かとの様相でした。そのためどうなるだろうかと大変心配しました。結論から言えば、新たな再出発をまずは果たしたと言えるでしょう。傍聴者の一人として、ほっと一安心という気持ちです。一番ほっとしたのは村松委員長でしょう。仙台放送のインタビューに「具体的な中身に入る時期と思っていたので、きょう議事が進み、うれしく思う」と答えています。ただ前回会議で激しくやり合った野田委員は欠席でした。会議は粛々と行われ、予定では1時から5時の会議でしたが、なんと4時すぎには終了となりました。早く終わったのはうれしいですが、長丁場の会議と腹をくくって参加したのでちょっと拍子抜けしました。 

 ただ野田委員の欠席については、これでいいのかな? と思っています。新聞報道によれば、欠席理由は日程の都合がつかなかったためのようです。会議のあり方や運営などで混乱を生んできた当事者が欠席という中での今回の再開が、今後の運営に禍根を残さなければよいのですが。一方が欠席の中での再開には、スッキリしないものを感じました。 

 またいじめの定義や発達障害についての指摘や問題点、あるいはSC(スクール・カウンセラー)やいじめが生じた際の学校対応のあり方などの点については、これまでの会議における野田委員の発言が大きな役割を果たしてきたと思っています。今後の議論の行方にも期待していました。問題提起をしてきた委員として、できることなら最後まで仕事をしてほしいと感じます。 

 そして、もっとも重要なことは、野田委員が遺族側の推薦委員であるという点です。その重責を忘れてほしくはありません。野田委員の言動が問題になっても、遺族は「一般の人には暴言に聞こえても、遺族の気持ちを代弁してくれた」、「言葉遣い(の問題)はあると思うが、指摘に間違いはない」というように一貫して野田委員を擁護し、今回の会議後のマスコミに対しても「野田委員の欠席は、非常に残念に思う」と言葉を寄せています。この遺族の思いに応える責任はあるのではないでしょうか。ぜひ応えてほしいと思います。傍聴者の一人として率直な思いを書きました。 

 最後に、この間の再調査委を傍聴してきて、ぜひとも改善してほしいことの一つに、議事録の速やかな公開があります。すでに7回の会議が行われ、そのうち第4回からは公開として行われてきていますが、やっとここ(3月半ば)にきて第4回、第5回の議事録がホームページに公開されました。教育委員会などと比べるとたいへん遅いと思います。また内容的にも要約された概要版となっています。これでは多くの市民がこの会議に関心を寄せていたとしても、具体に議論の中身やどんなやり取りが行われたのかを知ることはできません。ぜひとも議事録の公開は速やかに実施してほしいです。第1回から3回についても議事録として公開できる部分は公開してもよいのではないでしょうか。 

 それから提案です。そもそも公開にしたのは、市民にも一緒に考えてほしいとの思いからでしたよね。だとしたら、今回の会議のように早く会議が終わったら(そうでなくても)、傍聴者の感想を聞くなどという粋な計らいをしてみてはどうでしょうか。市民本位の市政と姿勢を示すあり方の一つとして一考してみてはどうでしょうか。
 どうぞ関係者のみなさん、検討よろしくお願いいたします。(キヨ)