mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

コロンブスの新大陸発見から学校教育のとらえ直し

昨日(25日)の愛読紙朝刊のコラムに、「アメリカ第2の都市ロサンゼルス市の議会が、コロンブスの米大陸到着(1492年)を祝う10月第2月曜の『コロンブスデー』を『先住民の日』に変更すると決めた」で始まる記事が書かれていた。

ボクがに「1492年コロンブス新大陸発見」という受験知識に初めて疑問をいだくきっかけになったのは、教員になって4・5年目頃だ。組合の資料室で、教職員組合の全国教育研究集会記録をパラパラとめくっているとき、1966年福島市で開催された集会での堀田善衛記念講演記録が目にとまった。演題は「アジア・アメリカの政治と文化の問題」。その冒頭で次のように話していたのだ。

 

コロンブスがアメリカを「発見」する以前に、その「発見」したことは、だれにとっての「発見」であるか。アメリカにもとから住んでいたアメリカインディアンと今いわれている人たちにとっては、アメリカ大陸はとうの昔からあったのであって、べつに発見したわけではない。この場合、「発見」とは、つまりヨーロッパにとっての「発見」である。ヨーロッパの人が、日本へ来て、そして日本を「発見」したと思っているかもしれないが、われわれ日本民族は、ずうっと昔から日本にいるのであって、日本を生まれたときから発見しているわけです。つまりこれは、ある種の固定したヨーロッパ中心の世界観が、そこに支配的に存在していたことの証明になると思います。

 

 言われてみれば、いかにも当然のことだが、少なくても小・中・高校、そして大学まで、疑問を持つことはなかったので、これを読んでから、ボクの中でいろいろなものの見方・考え方が変わっていった。

日本をなぜ「極東」というのか。イギリスを中心にした地図でみれば、日本列島は右の端っこに見つけることができる。つまり「極東」なのだ。

歴史だけではない。2年生の理科の教科書やテストに、日当たりの良いのはどちらかという記載がある。南と答えて欲しいのだ。しかし南半球では、日当たりが良いのは北である。(厳密に言えば、南回帰線の南緯23.4度より南の場合となる)

いずれにしても、こんなことからだけでも、授業風景は大きく変わり、子どもたちと共に考える内容は違ってきたのだった。

グローバル化に対応といいながら、「1949年コロンブス新大陸発見」とか「日当たりが良いのは南側」と記述している教科書を、何も疑わず、そのまま伝えるのは、反グローバルであり、楽しい学びを手放すことになるのではないか。もったいないことである。

さて、冒頭のコラムは次のように結んでいる。『多くの犠牲を強いられ生き残った先住民の現状や祝うべき正義、たたかいの歴史についてあまり知られていない。知ればアメリカ社会が、底辺から見えてくる気がします』と。<仁>

日本人が戦争体験を通じて得たこと

 私は、時々、小田実の書いたものを読む。そのわけを聞かれるとうまく説明ができないが、ベ平連運動がわかりやすかったように、書いてあることもわかりやすいことにあるかもしれない。ベ平連の「だれデモ入れる声なき声の会」「来るものは拒まず、去るものは追わず」もいい。見る人にとっては「いいかげん」が気になったかもしれないが、隙間だらけがあるときに、それぞれが自分を考えないといけなくなるし、その集まりの幅の広さの必要性を感じ、他の考えをも真面目に聞き考えるのではないか。

 小田さんも鶴見さんもよく書いた。書いたものは読まれなければならないだろうが、小田さんのものを読むと、自分自身に言い聞かせているために書いているような気さえしてくる。

 小田さんが、宮城の「9条の会」の集会に来たことがあった。傍から見ても相当体が弱っているように見えたが、デモ行進の先頭に入り、最後まで歩いた。その姿を見ても、自分のために歩いているように私には見えた。
 その後間もなく、訃報が入った。 

 今読んでいる小田さんの文から、少し抜いてみる。

 「日中戦争・太平洋戦争を経て、日本の国民が獲得した唯一のものが、『殺すな』という原理だ。この、殺したらいかんという気持ちは全世界にとって意味のあることだと思う。」

 「日本の中では、日本人はあまり意識していないことだけれど、太平洋戦争末期には、日本は全世界を相手に戦ったことになる。・・・戦わなかった国は、ポルトガルとスペインと、あと二つか三つぐらいしかない。・・・・だから我々は最後のところで全世界を相手に戦ったことがあるんだという認識を持った方がいい。そして全世界を相手にして終わった。。そこで獲得したのは、その悲痛な体験から、全世界と仲良くしようということを肝に銘じたということなのだ。」

 「全世界の人間と仲良くするということは、全世界の人間と対等に平等にやりたい。つまり、もう植民地を持つなんてコリゴリや、ロクなことない。いろんな意味でちっぽけな国だから、全世界の国と人間と、対等に平等につきあいたいということだ。家来にしたくもないし、されたくもないという論理をたてたんだと思う。」 

  小田さんは今いないからだが、こんなことを書いていた小田さんは、現在の北朝鮮問題についての安倍首相の発言、そしてトランプと組んで「圧力」を言いつづけていることをどう聞くだろうか・・・と思う最近である。( 春 )

授業実践記録『みんなで育つ』のように・・・

 宮城には『教育文化』と『カマラード』という冊子があった。『教育文化』は宮城県職員組合が、『カマラード』は宮城民教連(正式名称は宮城県民間教育研究団体連絡協議会)が、それぞれ発行していた。どちらの冊子も、教育や子育てにかかわる様々なテーマや情報を提供し交流・討論の場として、また教師としての力量を高め合う貴重なものとしてあった。しかし「あった」と記したように、残念ながら現在は、どちらも発行されていない。そのため以前に比べると、県内各地で取り組まれている様々な教育実践を共有・交流することが難しくなってきている。

 そんな中にあって今回、仙台能力発達サークルの手によって国語のまとまった授業記録『みんなで育つ』が発行された。

 本冊子は、第一部として佐藤正夫先生が教師生活最後の年に受け持った小学2年生の子どもたちと取り組んだ「あしたはてんきだ」「かさこじぞう」「えんぴつびな」の各授業記録を掲載し、第二部は「えんぴつびな」の授業についてサークルで行った検討会が報告されている。

 授業記録は、どれも丁寧に記録が起こされていてT(教師)、C(子ども)の発問発言形式で書かれている部分と、授業の前後あるいは授業のやり取りの間に教師としての期待や思い、戸惑いや反省などが率直に語られている。読んでいると行間から教師と子どもたちの生き生きとした授業の光景が目に浮かび、いつの間にか自分もその場に立ち会っているような気にさえなってくる。

 特に授業の合い間合い間に差し込まれている文章は、教師が授業の中でどのようなことを考えながら、あるいは戸惑いながら子どもたちに発問をし、発言をうながしているのか。同時に子どもの発言をどう受けとめ、次に授業を展開していくのかなど、その時々の教師の判断や決断、迷いなど心の動きや揺れが描かれていて、とてもおもしろく読んだ。改めて教師の仕事は、瞬間瞬間の多くの判断に支えられた仕事なのだということがよく見えてくる。

 授業がうまくいかない、どうしたらいいのだろうと思っている若い先生をはじめ多くの先生方に本書を手に取ってほしいと思った。悩みながら少しでもいい授業をしたいと思っている等身大の自分の姿を、この冊子の中に発見することができるのではないだろうか。また教育関係者にとどまらず、保護者の方や教育に関心を持っているみなさんにもぜひ読んでほしい。授業参観で自分の子どもを中心に見ている授業とは異なる、教師と子どもたちとの世界が見えてくるように思うからだ。

 この冊子を通じて教師の仕事や授業について、あるいは子どもが授業で学ぶ・育つことについて小さな語らいの輪ができ、タイトルのように『みんなで育つ』ことができたらいいなあと感じる。(キヨ)

※『みんなで育つ』をお求めになりたい方は、研究センターまでご連絡ください。
  (『実りの秋の こくご講座』の時にも、お求めいただけます。)

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『実りの秋の こくご講座』を行います。ぜひ参加ください。

 『夏休みこくご講座』に続いて、秋の『こくご講座』を開催します。

 前半は、全体会として「読みの力をつけるために ~文と単語のことを中心に~」と題し、研究センター・前所長の春さんこと、春日辰夫さんから作品の読みを深めるために大切にしたいことを話してもらいます。

 後半は、2つの分散会に分かれて授業づくりの話し合いをします。今回は、3年生教材の『モチモチの木』と、5,6年生教材にある『日本語のしらべ 短歌・俳句』を扱います。短歌と俳句を取り上げるのは初の試みとなります。

 事前申し込みなどは必要ありません。どなたでも参加できる会です。みなさんのご参加をお待ちしています。
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『実りの秋の こくご講座』 

  ◆全体会(13:30~14:20)
   読みの力をつけるために
    ~文と単語のことを中心に~

  提案  春日 辰夫さん(研究センター  前・所長)

◆分散会(14:30~16:30)
 ~豊かな学びの授業を創るために~

 ・物語文『モチモチの木』(3年生)
 ・『日本語のしらべ 短歌・俳句』秋冬編(5,6年生)

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地域に学びの場を!~ 学び処しおがま(マナシオ) ~

 前のdiaryで、春さんは「読み応えのある本(子ども)とどのように向き合っているか」が、私たちに問われていると記していた。
 センターをずっと支えてくれている元教師の清水仁さんが、この4月から仲間たちと塩釜で学習支援の取り組みを始めた。読み応えのある子どもとどう向き合うかの、まさに試みの一つ。その活動を紹介したいと話していたら、丁寧な原稿を書いてくれました。ぜひお読みください。そして応援・協力もよろしくお願いします!

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 今年4月に,塩竈地域で,無料の学び処「学び処しおがま」(「マナシオ」)を立ち上げました。 

 ★勉強が分からない
 ★ひとりでなく,友だちと勉強したい
 ★学校に通うことができなかった,できないので勉強したい
 ★戦争などで,中学校を卒業していないので学びたい

 これらの人たちにより添って,一緒に考えて,学びたい学び直したい気持ちを応援したいと思っています。

 以前から,「子どもたちの貧困を考えたい」「今の学校の学習状況を,何とかしなくては」「高額な塾に行けない子はいないのかしら」「子ども食堂や介護までも取り組みたい」との声があちこちで聞かれていました。昨年冬に数人で集まったときに,「できるところからやろう,とりあえず,学習面で。」と,場所探しと生徒・学習ボラ募集を始めました。
 幸い,時間的に制限はありますが、無償で場所を提供して下さる方が見つかり,即,決めました。

 活動は,毎週土曜日午前に,多賀城市下馬にあるビルの1室で,宿題やテスト直し・自主勉強・課題を一緒に考えています。 

 現在,通ってきている生徒は,小学生男子3人,女子7人の10人です。スタッフの知人の子だったり,ポスターやチラシを見て連絡してくれたり,保護者からの繋がりで広がったりしています。中学生の参加は,時間的に難しいようです。
 学習支援ボランティアの登録数は,10名以上で,小学校や高校の元教員,医療関係従事者の他,大学生や高校生もいます。みんな無理のないところでと思っているので、それぞれの都合で,常時平均3~4名で支援しています。 

 今のところ、学習の前には,1分間スピーチをし合って,最近の出来事や思っていることなどをみんなで共有し合っています。また新聞記事の読み合わせもしています。
 それから学習です。それぞれ学年や課題によって違うので,個別にみるようにしています。生徒によって違いますが,30~40分したら休憩です。休憩時間には,向かい側の病院の図書室に行って本を借りてきます。本は,翌週に返します。
 休憩後は自由です。帰宅しても構いません。お迎えの子は,折り紙やお絵かき,借りてきた本の読書,オセロや将棋等で,時間まで過ごします。部屋の中で鬼ごっこもしています。勿論,学習の続きをやってもいいのです。

 七夕の前には,折り紙でミニ笹かざりを作ったり,誕生日が近い生徒がいれば,みんなで歌ってお祝いしたりします。
 夏休みは,特別教室として図書ボランティアの方による絵本の読み聞かせや紙芝居・腹話術,浦戸諸島散策,アイロンビーズ作りの3日間を過ごしました。この日だけ参加という子もいました。
 英語が得意な学習支援ボラが来てくれたので,秋には,「英語のワンポイントレッスン」も短時間でやってみようかということになりました。 

 運営は,運営スタッフ(現在5名)で定例的に話し合い,活動を振り返って課題を確認し,方針を出していきます。スタッフ会議の他に,学習支援ボラ会議ももち,学習支援の進め方について意見交換をします。
 運営資金は,個人・団体の賛助会員制を作ったので,その賛助金で賄っています。紙代や印刷費等の活動に使っていますが、まだまだ十分とは言えません。ぜひ応援ください。スタッフが,みな高齢なので,若い人たちの積極的な参加も大いに期待しています。 

 「学び処しおがま」(「マナシオ」) で学びたい、学習支援ボランティアなど協力したいという方は、ぜひご連絡ください。お待ちしています。

   【連絡先】090-3753-4386(清水) まで。

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  それでいいよ、ゆっくりね       本を借りに来た子どもたち

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  夏休み、アイロンビーズ作成中     ここは、どうしたらいいかな?  

子どもは一冊の本である ~河北新報・持論時論より~

 8月のある日、センターに来た春さんから、河北の持論時論に原稿を書いて送ったと聞いていた。どんな内容なのかとか、そういう具体的なことは、その時は何も聞かなかった。その後、掲載されるのはいつだろう? はたして掲載されるのだろうか?と思っていたが、9月4日の河北新報をみて、ああこれだ、と思った。

 記事タイトルは味気ないけど、中身は濃いと思います。以下に掲載します。

  教育行政 第一の仕事   子と向き合う環境大切

 

 教職にあった時、私は子どもたちに対して数々の失敗をしている。そのつど思い出したのが、教育実習で中学3年のY子からもらった「・・・それでも先生になるんですか」という抗議の手紙だった。クラスの実情も知らずに説教した私を許せなかったのだ。

 Y子にこう言われても、私は教師になった。いや、この手紙が教師になる決意を固くさせた。以来30数年、失敗のたびにその言葉を思い浮かべながらも、同じことを繰り返すどうしようもない教師だった。そんな自分を振り返りながら、私ほどではなくても、似たような失敗を多くの教師もしているのではないかと思う。

 問題は、その時、そのままにして終えてしまうか、それとも、何か自分なりに気付いて、子ども(たち)に向き合い直すかである。それによって、その後の仕事が随分違ってくるのではないかと、このごろ頻発する学校の「事件」を耳にするたびに考える。

     ◆   ◇   ◆    ◇

 オーストリアの詩人ペーター・ローゼッカーに、〈子どもは1冊の本である/その本から/われわれは何かを読み取り/その本に/われわれは何かを書き込んで/いかねばならぬ〉という詩がある。

 詩人は教師だけに向けて書いたのではなく、子どもに関わる全ての大人に向けて書いたはずだ。仙台市郡和子新市長は「教育に力を入れる」と述べており、私はもろ手を挙げて賛成する。問題は、どう具現化していくかだ。ローゼッカーは、子どもから何を読み取り何を書き込んでいくかと、私たちに問い掛けている。

 「読み取り」に関しては、「子どもはどんな本より読み応えのある本だ」と言った人もいた。私たちが問われるのは、この読み応えのある本とどのように向き合っているかだ。教師も親も「他の仕事が忙しくて」と言い訳をするようでは、丁寧に「読み取っている」とはとても思えない。学校でいえば、教師が何より優先すべきことは、ゆっくり時間をかけて子どもを読み取ることであり、教育行政のすべき仕事の第一は、そういう読み取りのできる学校・教師の環境の保障であろう。

 「何を書き込んでいく」かについて言えば、「読み取り」によってどんなことが見えてくるかによる。子どもたち全体を一つにして相手にすることが可能とは言えない場合もあり、ある時の書きこみは、面倒でも子ども一人一人を相手にせざるを得ないこともあるだろう。教室ゆえに全員で一緒に学び合いたいと願うとしても。

     ◆   ◇   ◆    ◇

 また、今の現場の様子から、教師が子ども(たち)に書き込んでいくものは「教科書そのものだ」と頭から思いこんでしまってはいないか、ということも気になる。

 教育行政の仕事は、ローゼッカーの「子どもは1冊の本である」がいかに現場で生かされていくように計らうか、に尽きると思う。学校が変われば、子どもたちの姿もおのずから変わってくるはずだ。それは学校だけではなく、家庭も含めて子どもの居場所全てに言えることであろう。

 春さんの持論時論のなかにある「保障」を、パソコンのキーボードでhosyouと打ち込み変換したら「保証」が出てきた。そう言えばいつ頃からか、学校からの便りなどで、学力にかかわってやたらと「保証」という文字が踊るようになった気がする・・・。それは、思い違いだろうか。 「保障」と「保証」同じホショウだけど、中身はずいぶん違うよね。学校や子どもから読み取る、読み取られるものが、いつの間にか変わってしまったからなのだろうか。そんなことを春さんの持論時論と重ねながら、ふと考えた。(キヨ) 

灘中学校 社会科歴史教科書採択の記事を読んで

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 8月19日付け朝日新聞に『慰安婦記述の教科書  採択中学へ抗議波紋/「圧力感じた」灘中校長の文 ネット拡散』との見出しで記事が掲載された。記事は、進学校として全国的にも有名な私立灘中学校が、学び舎発行の社会科歴史教科書を採択して以降、学校に県議や国会議員から「なぜあの教科書を採択したのか」という問い合わせを受けたり、同一の文面による抗議はがきが届くようになり、校長は、政治的圧力を感じたと伝えている。事の発端は、採択した学び舎発行の歴史教科書に、この間中学校歴史教科書から消えていた慰安婦についての記述があったことによる。新聞記事の伝えるところによると、学び舎発行の教科書を採択した他の中学校などにも同様の抗議などがあったらしい。なお新聞記事冒頭にある灘中校長が書いた文章「謂(いわ)れのない圧力の中で」は、後日知り合いから見せてもらった。 

 この記事を読みながら、まっさきに思ったのは灘中の校長をはじめ教職員は、特に社会科教師は大変だったろうということ。きっと議員からの問い合わせ、さらには記名・無記名による多くの誹謗中傷の類いの抗議のはがきや手紙、なかには電話によるものもあったかもしれない。まさにこれらの青天の霹靂的出来事にどう対処すればよいのかに苦心し、またその対応に辟易したことだろう。さらに言うなら、私立学校にとって社会的評判は、ときに学校経営の死活的問題にすらなるのだから。なんとも気の毒な話だ。しかしこれらを逆手にとって難関進学校・お受験校として一般に知られる灘中が、どのような教育方針や姿勢で日々教育活動を行おうとしているのか、行っているのかを広く一般社会に知ってもらうよい機会にするのもよいかも。

 実際、灘中校長の書いた文章を読めば、採択に際しての考えや歴史学習に対する考えはきちんと記されている。さらに校長がすごいのは、このような状況にありながらも保阪正康さんの『日本史のかたち』(岩波新書)を引用しつつ、「現憲法下において戦前のような軍国主義ファシズムが復活するとは考えられないが、多様性を否定し一つの考え方しか許さないような閉塞感の強い社会という意味での『正方形』は間もなく完成する、いやひょっとすると既に完成しているのかもしれない。」と現代日本社会について分析し結んでいることだ(ちなみに正方形とは、ファシズムの権力構造のこと)。文面からは、いろいろ大変だが心配ご無用という余裕すら感じさせる。野球解説者の張本(ハリ)さんなら、ここであっぱれを出すだろうか? その意味からすれば、朝日新聞の取材に対して「静観してほしい」というのもわかる気がする。

 ところで、今日のさまざまな社会的状況を勘案すると、灘中のような青天の霹靂的出来事を、まさかの出来事として片付けてはいけない気がする。だって灘中は、現にその「まさか!」を経験したのだから。では、そういう状況に遭遇、陥ったらどうすればよいだろうか?

 このことに一つの示唆を与えてくれのが『オリーブの森で語りあう』(同時代ライブラリー 岩波書店)である。同書は、『モモ』や『はてしない物語』で著名な作家ミヒャエル・エンデとその妻(ホフマン)、政治家のエアハルト・エプラー、演劇人であるハンネ・テヒルらが語りあった内容をまとめたもので、政治から文化・芸術に至るまで、さまざまなことが自由に語られている。その中に、ナチス政権下でどのような抵抗ができるかについて語られた、次のようなやり取りがある。

(ホフマン)-前半・略- ナチス政権の末期に、どうやったら独裁制に対抗できるかを、友だちと話しあったことがあるのよ。たどりついた解決法は、厳密にいうと、たったひとつだけで、残念ながらそれはすぐさま実行には移せなかった。「こわがらない」ということなんだけど、それは子どものときから学んでおく必要があるのよ。「こわがらない」ということは、恐怖とおなじように、伝染性のものよ。

(エプラー)そう。どうやらぼくたちにも似たような経験がある。時代も状況も、ずいぶんちがうけどね。権力の、すべてとはいかないが、かなりの部分は、その権力にたいするほかの人たちの不安にもとづいている。だから、それに不安をもたない人たちが登場すれば、かならず権力の一角はくずれる。規律とか、微妙な買収-たとえば出世ということだけど-とか、侮辱とかにみられる何重にもなっているメカニズムをこわがらない。そういう態度は、ぼくたちのシステムでは予測されてはいない。にもかかわらず、そういうことが起これば、なにもかも混乱する。

 恐怖や不安は伝染する。怖いと感じ、心が支配されてしまうと、その恐れや不安は周囲にもあっという間に伝染し、その場と人びとを支配してしまうことがある。灘中の先生たちに限らず、私たちはすでに様々な恐怖や不安に囲まれているのかもしれない?? つい最近も隣国のミサイルに国中が不安を感じさせられた?ではないか。いやミサイルだけではない。今や学校の日常風景になっている「いじめ」しかりである。
 「こわがらないこと」、それは私たちを恐怖や不安に陥れる根本をまなざし、精神の自由を保つために求められる一つの道徳的資質と態度と言えるのではないだろうか。今日9月1日は防災の日、そして94年前のこの日は関東大震災が起きた日だ。(キヨ)