mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

2月14日 金子兜太さんと父と、トラック諸島

 私は、今になっても「トラック諸島」という文字を目にするとドキッとする。
 12日の朝日新聞の3面「武器という魔性への一閃」のなかに「トラック諸島」を見つけた。それは、こうだ。 

 人を殺める兵器や武器はおよそ俳句の趣向に合いそうもない。しかしそれらを詠んだ名句もあって、金子兜太さんの破調の一句はよく知られている。

 〈魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ〉

 金子さんは先の戦争中、海軍主計中尉として南太平洋のトラック諸島に派遣された。米軍の執拗な爆撃に叩かれ、修羅場となった島のヤシ林の奥に、攻撃機に抱かせる魚雷が隠して積んであった。
 あるとき、その丸みのある鉄の肌の上を、トカゲがちょろちょろ走って消えるのを見た。戦場でありながら冷たいものが背筋を上ってきたそうだ。~~ 

 この金子さんの句の作られた「トラック諸島」に私の父親もいた。未だに「トラック諸島」の名にふれると心が騒ぐのはそのためだ。

 アメリカ側の記録ではトラックを太平洋戦争の要地として位置づけ、初めから攻撃対象の地としていたようだ。他の島々と同様死者が続出しているが飢餓死が多かったように言われる。ある本では死人が出ると口数が減るので内心喜んだとの証言もあった。

 このようななかで父は、1946年2月、奇跡的に戦後帰ってくることができた。アメーバー赤痢に罹患していたことが逆に幸いして死なずに帰国できたのではないかと思っている。しかし、結局、復職までできたのだが短期間で再発して他界した。
 「自分は今トラックにいる」と書いてきたことは一度もなかったが、帰ってからも、死ぬまでトラックのことはやはり一度も話すことはなかった。

 トラック島に行ってみたいと長い間思い続けていたが、もうその機会を作ることは無理と今は諦めている。

 安保法制反対運動で私も持ったことのある「アベ政治を許さない」の、あの筆字が金子さんの書かれた文字ということは知っていたが、金子さんも父と同じトラックにいたことを知って、金子さんの句は私にとって特別意味あるものになった。

( 春 )

えっ! 何て言ったの? 高校生公開授業

 先月28日の高校生公開授業が終わって一息ついたところですが、実は授業の最後で思わぬハプニングが・・・。参観していた方なら「あぁ、あれのことかな?」と。

 当初、参観は高校生たちのまわりからしていただく予定でいましたが、高校生とリラックスしたなかで授業をしたいとの樋口さんからの意向もあり、当日は別室での映像による参観となりました。ただ、その場合に難点が・・・。授業のやり取りの音声は、すべてマイクを通してでないと聞こえないということです。そのため急遽、高校生たちにも卓上マイクを用意するなど大慌て、まるで国際会議のような授業風景となりました。

 これらの課題をクリアして、当日の授業は順調に進んでいましたが・・・。最後の最後で、高校生の発言がマイクの充電が切れてしまって聞こえず・・・、でも高校生はそのまま発言。その発言を聞いた樋口さんは「まったく100%その通りです。どうでしょう?一番いい締めになったんじゃないですか」と応えて、授業を終えたのでした。

 別室の参観会場には、樋口さんの声だけがスピーカーを通して響いたのでした。《まったく100%その通りって、何が100%で、どういう通りなの?》《一番いい締めになったって、どういう締めだったの???》と、参観者の皆さんは思われたことでしょう。テレビドラマの最終回、一番のクライマックスの場面でバチンとスイッチを切られたようなものですから。参観者のみなさんからは多くのご批判を受けるだろうと覚悟したのですが、何人かの方から「高校生は何と言っていたの?」と聞かれたものの、特に厳しいご批判や苦情を受けることなく、みなさん家路につかれたのでした。

 でも主催者としては、やはりずっと申し訳なかったなあという思いと、聞こえなかった高校生の発言をどうにか皆さんにお伝えできないかという思いが残ったのでした。そこで、このdiaryでその発言部分の記録を起こして掲載することにしました。これで十分ということにはなりませんが、お許しください。 

(高校生)

 僕は具体的なことはよくわからないですけど、例えば民主主義であったり権力であったり、暴走するのを防止してみんなでいい方向に持っていこうとするものが、いろんな歴史の中で作られてきた憲法だと考えて、それで、例えば無味乾燥な人名と特徴だったりを結びつけるような勉強も、今の憲法が持っている権力とか民主主義とか暴走する仕組みを防ぐための、それこそセイフティーネットだという感覚を持って勉強に取り組んでいけばいいのかなと思いました。そういうことでいいんでしょうか。

(樋口さん)

 まったく100%その通りです。どうでしょう、一番いい締めになったんじゃないですか。

 これからも微力ながら高校生たちに出会いの場をつくって行きたいと思います。みなさん、どうぞよろしくお願いたします。( キヨ )

またしてもアメリカの話題から『国境』を考える (追記)

 「メキシコとの国境に壁をつくる」というトランプ大統領の言葉を聞き、ある絵本を思い出し、ページを繰った。それはケストナーの『動物会議』である。ご存じとは思うが、簡単に話のあらすじを振り返る。

 

人間がけんかばかりしているので、動物たちが会議を開き、人間にけんかをやめろと何度も要求するが効き目がない。そこで動物たちは世界中の子どもを誘拐し、一夜にして子どもが姿を消す。慌てたおとなは一生懸命探したが見つからない。仕方なくおとなたちは、動物たちの要求を受け入れる。動物からは3つの条件が提示される。その条件の1番目は「国境をなくす」である。

 

 トランプ大統領に「読み聞かせ」をしたいほどだ。もちろん現実には国境がなくなるのは、まだまだ、まだまだ、ずっとずっと先のことだろう。でも、これを夢物語にはしたくない。

 ちなみに残り2つの条件は何か。2番目は「制服をなくす」ということ。3番目は「子どもを育てるという仕事は、いちばん貴重な仕事なのだから、学校の先生に一番高い給料を払う」である。2番目は単に「制服」ではないだろう。さまざまな「決まり」と捉えていいのだろうと思う。「自由」への願いともいえる。


 「国境に壁」の話からの連想ゲームに終わらせたくはない。ケストナーの願いを、みんなでバトンを渡し、たすきを繋ぎながら、『国境をなくす』という大きな夢(山)に向かって歩んでいきたい。話が大きくなりすぎたかな。せめて『国同士の争いをなくす』ことは、できるだろう。目標が大きければ大きいほど、参加する方法はたくさん考えられる。登山とおなじである。大きな山には登山口ははたくさんあるから、自分の登るコースでめざせばいい。できるところから一歩一歩の取り組みになる。<仁>

2月12日訂正追記

動物会議を再度ていねいに読み直した。前述の動物たちと人間の代表が取り交わした条件が正確でなかった。改めて取り交わした条件を整理して加筆します。

1 すべての国境をなくす。

2 軍隊と大砲や戦車をなくし、戦争はもうしない。

3 警察のつとめは、学問が平和のために役立っているかどうかをみることである。

4 政府の役人と書類の数はできるだけ少なくする。

5 子どもをいい人間に育てることは一番大事な、難しい仕事であるから、教育者が一番高い給料をとるようにする。

2月3日

 テレビは、毎日「トランプ」「トランプ」で、頭がおかしくなる。

    選挙中は、(選挙なんだから、こんな考えやもの言いの人間が出てきても仕方ないか・・・)と思って眺めていた。もちろん内心は、(まさか、こんな人が選ばれることはあるまいから)という思いがあったのだ。

 でも、なんと、この人がアメリカ合衆国の大統領になった。しかも、全米の国民投票でだ。びっくりしたが、世の中の動きをよく見て今考えると、その予兆はイギリスの選挙などにみられていたといっていいのだ。

 この頃、長い時間をかけ、血まで流して確立した「民主主義」は、(このままでいいのだろうか・・・)などと、自分自身でも驚くようなことが心にひっかかるようになっていた。

    トランプは「アメリカファーストだ。選挙で公約した国内の雇用拡大だ。・・」として、移民難民はシャットアウトだとまで大統領令として出した。

 アメリカのそれぞれのルーツをたどったら、トランプをも含めて、彼の言う移民難民と大差ないのではないか。そこにこそアメリカ合衆国が他に誇れる寛容と自由の国であるのではないか。それなのに・・・。

 ぐちってもどうにもならない他国のことだが、「アメリカ合衆国憲法」(1788年成立)を書棚からとりだして眺めてみて、(これでは仕方ないのか、ずいぶん遅れているんだ)と、振り上げた拳をおろしてしまった。ちなみに、前文はこうだ。 

われら合衆国人民は、より安全な連合を形成し、正義を確立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般的福祉を増進し、そしてわれらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにこの憲法アメリカ合衆国のために制定し、これを確立する。 

 このような前文を掲げていながら、アメリカという寛容で自由な国と言われる国を維持してきたのは、入るを拒まず、まさに多くの移民でつくりあげてきたことによるのではないか。でも、過去を忘れてアメリカファーストなどと言っていたら、たちまち崖から転げ落ちるのではないだろうか。

   「戰争まで」(加藤陽子著)の中に、日本国憲法にふれて、「戦争放棄という主旨は、確かにGHQ 草案に起源を持っていたけれども、平和主義の発想は、日本側の発案によって憲法の条項として入れられた」という文があった。私は、(よかったなあ。いつまでもいつまでも守りつづけたい)と思った。このような憲法をもっていながら、トランプ発言に首相のことばが発せられないのは寂しいが・・・。( 春 )

樋口陽一さんの高校生公開授業 終わる

2年越しの企画となった樋口先生の公開授業が無事終わりほっとしているところです。会場も初めての場所でしたが、たくさんの方々に支えられて漕ぎつきました。

 限られた時間での授業のため、一問一答形式にはならず、参加した高校生すべての質問や疑問を残したまま終わらざるを得なかったことは多分にあると思います。今回の授業を契機に、友達や高校の先生達との学び合いに発展していって欲しいと思います。

翌日の新聞記事も参考に紹介します。

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今週末開催です! 高校生公開授業

 あっという間に、樋口陽一さんによる高校生公開授業「憲法という人類の知恵」開催まで数日となりました。

 高校生公開授業が始まったのは2006年。第1回目は小森陽一さん(東大教授)による宮澤賢治の童話『烏の北斗七星』をテキストにした文学の授業でした。参加した高校生は約30名。授業の後には小森さんによる講演会も行われ、大いに盛り上がりました。
 その後、詩人のアーサー・ビナードさん、作曲家の林光さん、数学教育の実践で大きな話題と影響を与えた仲本正夫さん、宮澤賢治研究をライフワークとする三上満さん、ジャーナリストの金平茂紀さんなどに授業をしていただいてきました。
 なかでも小森さんは、公開授業を契機にS高校の先生との授業バトルやK高校での一日授業、小学校での『お手紙』の授業など、さまざまな取り組みへと広がっていきました。
 今回の憲法というテーマに関連して言えば、実は作曲家の林光さんに、なんと「ひとりひとりの憲法」というテーマで授業していただいています。専門の音楽に関わっての授業ならいざ知らず、ピアノの演奏や歌を交えながらの憲法の授業は、大変ユニークで林さんならでは、林さんだからこその授業だったように思います。

 私たちは、この公開授業で文化・芸術あるいは学術・教育分野など広く社会の第一線で活躍されている方と、高校生たちとの出会いの場をつくりたいと願いながら取り組んできました。本気で仕事や研究をされている方々と出会うことは、その方々の底流に流れている探求の精神に出会うこと、触れることだと考えています。
 とはいえ授業者になっていただいた多くの方々は、日ごろ高校生を相手に授業をされている方々ではありません。さらに、どんな生徒かもよくわからないなかで行われる一発勝負、まさに一期一会の出会いです。正直このような条件にもかかわらず授業者として高校生たちに授業してくださるみなさんには頭のさがる思いでいっぱいです。

 今回の樋口さんも、どんな授業をしたらいいか、いろいろ考えてくださっています。先日早速、当日高校生たちに配る資料が送られてきました。

 前所長の春日は、常々この公開授業を通じて、たとえ線香花火のようであったとしても高校生のなかに授業者との出会いによる「学びのジケン」を起こしたいと言っていました。
 今回の授業で、どんな授業が行われ、「学びのジケン」が起こるのか。私たちもわくわく、そしてはらはらもしています。一期一会の樋口さんと高校生たちとの出会い、どうなるのか楽しみです。( キヨ )

1月24日 「冬点描 氷点下の新聞配達」をみて

 先日、朝のテレビのニュース番組の中にはさまれた「冬点描」と題する短いスケッチで「中学生の新聞配達」を観た。

 中部地方の山あいの60数戸の集落が舞台。ここに住むすべての人は、中学生になると新聞配達(朝刊だけと思うが)をすることになっており、その中学生たちの配達の様子を追ったもの。

 映した時間は短かったが、一定の期間、追い続けて編集していたので彼らの様子はよく見ることができた。
 他とことばを交わすことが得意でない内気な女子中学生が配達中に挨拶の声の調子が変わり、門の前で新聞を待つ住民ともしだいに会話をするようになっていく変化もよくわかった。だれかが注意したわけでも強要したわけでもない。新聞を待っている人たちとの間にしぜんに身についていったのだ。

 この集落では、「中学生の新聞配達」は60年もつづいているという。門前で新聞を待っている住民も体験者であり、新聞をはさんでの中学生との距離はない。配達する中学生の心の内も同様だろう。寒さの朝でも新聞を渡す受け取る二人の間には温かい心の通い合いを感じる。

 どんなきっかけで始まったのかは、聞き逃してしまったのだろうか、わからない。
 観ている私の心まで温かくなった。学校にとって、これを超える住民からの支援はあるだろうかとも思った。

 さて、今、どこかでこれを自分の地域でもまねてみようなどと言ったらどうなるだろう。親からも中学生からも一顧だにされないだろうと思った。
 もっと小さい単位でもいい、新聞配達に限らなくていい、こういう試みがなされる世の中に戻ることは、もう無理なのだろうか・・・。( 春 )